四国松山で生まれ四国松山で育ったが、今では関西での生活が四国時代よりも長くなってしまった。
四国松山は遥か昔十五万石の城下町。松山のいわゆる下町で育ち、幼き頃の遊び場といえば、路地裏や空き地、田んぼや畑、河原や小山、神社やお寺だった。近所の駄菓子屋でお菓子を買い、ドロケイやロクムシ、缶けりをして明け暮れていた。
近所の仲間たちと自転車に乗り近所のお寺に遊びに行った。そこは静かな雰囲気のお寺だった。時には母親に連れられ車掌さんがいるバスに乗り、少し遠くのお寺にお参りしていた事を憶えている。今思うと水子供養だったのか。そこはにぎやかなお寺だった。いつも屋台がでていて参拝客にあふれていた。鐘をつき、洞窟に入り、名物の焼もちを買ってもらって食べるのが楽しみだった。習い事の合宿では山深いお寺の宿坊に泊まり、早朝に本堂でお経を唱え一日が始まり、練習に明け暮れた。それらお寺はすべて四国八十八箇寺のお寺だった。
日常的に道行く白衣菅笠姿のお遍路さんは、自分の生活の中の一部として溶け込んでいたように思い出す。お遍路さんにジュースを渡したり、托鉢のお椀に小銭を入れたりしていたことがなんだか懐かしい。哀愁というやつなのか。
ある日突然、お遍路に出掛けたくなった。
ある日突然四国遍路に出掛けたくなった。信仰心はうすく動機も不純で飽き性だが、はたして、いつ結願するのだろうか。
四国へ出掛ける前に弘法大師さんに敬意を払わねば。同行二人の精神。まずは 東寺 と 高野山奥の院 へ、四国遍路に出掛けるご挨拶。
ようやく四国へ。期待と不安を胸に、徳島県鳴門駅前から出発。一番札所霊山寺から九番札所藤井寺まで、初めてのお遍路、楽しくてしょうがない。アッという間に一日が終わり、JR鴨島駅から輪行で鳴門駅に戻った遍路旅。
焼山寺アタック! 前回終了の藤井寺から、一に焼山、二にお鶴、三に太龍と呼ばれる徳島の山岳難所のひとつ目、焼山寺を目指し行ける所まで行く。JR鴨島駅から十七番札所井戸寺まで、そしてJR鴨島駅へ戻る日帰り遍路、第二弾。
前回終了の井戸寺から徳島市内を抜け、恩山寺、立江寺へと足慣らし。そして遍路ころがし鶴林寺、太龍寺とラスボス級の2連続山岳行程を日帰りで挑む。真夏の遍路、はたしてどこまで進めるか。
前回、真夏に鶴林寺の山岳行程に挑んだが、途中で飲み物を失うアクシデントから熱中症とおぼしき症状で挫折を味わった。今回はコンディションの良い季節。和歌山からフェリーで四国に渡り、一泊二日でお鶴太龍に再挑戦。はたして徳島県(阿波の国 発心の道場)を制覇なるか。
前回から11ヶ月のブランクを経て、高知県(土佐の国 修行の道場)へ踏み入れる。四国の右下 V ゾーンを目指し、室戸岬まで太平洋岸を長距離移動した後には最御崎寺、金剛頂寺、神峯寺といった山の上に建つお寺と遍路ころがしが待ち構えてる。
マイカーで高知県南国市へ、そして安芸市から自転車で再出発。高知市の周辺に散らばる9ヶ寺を巡る、行けるところまで行くといういつもの行き当たりばっ旅。よさこい高知での美味い酒と肴も楽しみだ。
青春18きっぷ春シーズン、有給休暇を取って4連休! 鈍行と路線バスで9時間かけて高知へ入る。青龍寺から高知県西部の太平洋岸といくつもの峠をひた走り、四国最南端の足摺岬を目指し、はたして土佐の国を制覇できるのか。
土佐の小京都 中村(四万十市)から足摺岬に建つ金剛福寺を参り、夜は野宿でバーベキュー、そして不文律に従い月山神社から高知県最後の延光時へ。あらためて土佐の国は修行の道場であることを実感する。今度こそ土佐の国を制覇できるのか。
高知県さようなら。愛媛県こんにちは。宿毛から「四國徧禮道指南」という江戸時代のお遍路ガイドブックを参考にして、遍路道を自転車で走破していく。山ばっかりの伊予路はどんな景色を見せてくれるのだろうか。
四国お遍路は、ただのお寺参りとは違うのか。