四國徧禮道指南でへんろ いよいよ伊予路は山ばっか その1

前回、打ちひしがれた精神状態で周った足摺岬のへんろ旅は、勇気と自信を取り戻す心の洗濯ができとっても助かった。考えても考えても悩み答えが出ないものは、結局なるようにしかならない、ということをお遍路で悟った気がする。前回の旅の目標としていた土佐の国(高知県)を終え伊予の国(愛媛県)へ突入することは叶わなかったので、なるべく早く四国へ戻ってこようと決心していた。仕事は相変わらずの激務で、心が痛まない日は無いが、自分本来のお気楽な性格が戻ってきたように思う。

修行の道場といわれる土佐の国(高知県)を振り返ってみると、会う人はみんな親切で、高知女子のレベルの高さを感じ、美味い肴と美味い酒、そして闇に蝕まれつつあった心が洗われた。そんな高知を終え、いよいよ我が故郷の伊予の国(愛媛県)に踏み入れる。

今回のへんろ旅は四国の南西部、高知県宿毛市から出発し、高知と愛媛の県境を超え、愛媛県の南予地方を攻める。一番札所 霊山寺から最も遠く離れた札所の四十番 観自在寺をお参りし、行けるところまで進んでしまおう、という自分本来のお気楽なスタイルで望む。

自宅から高知県宿毛市へは距離にして430km、車で6時間ほどかかる。車の運転は嫌いじゃないが、距離もあるので鉄道や高速バスでの移動も考えた。鉄道だと新幹線と特急で7時間、15,000円かかる。青春18きっぷだと2,410円+1,630円だが、所要時間は26時間以上つまり始発に乗っても当日中に辿り着けない。高速バスだと京阪神(京都駅・大阪阿倍野・難波・梅田・神戸三宮)から宿毛行きの「しまんとブルーライナー」が出ている。大阪梅田を22時55分に出発し、宿毛駅に翌朝7時40分に着く。運賃は9,700円とやや高めだが、時間の都合はすこぶる良い。だが、自転車は輪行バックに詰めても手荷物として積んでもらえない。ダメなもんはダメなのだ。

ということで車で行く。仕事は忙しいが、お気楽モードの性格が復活したので金曜日の午後は有休にする。準備ができないタイプだが今回は前日までに準備は整っている。なので自宅には戻らず、昼過ぎに会社を出発し明石大橋から淡路島に入る。

淡路島を縦断、鳴門大橋を渡り四国へ入る。鳴門から徳島道を走っていると、カーナビに5番札所地蔵寺、6番札所安楽寺、7番札所十楽寺、8番札所熊谷寺と札所が次々と表示され、その度ごとに自転車で参ったあの日を思い出し、周りをキョロキョロしてしまう。わき見運転で事故っちゃシャレにならん。

カーナビは会社から宿毛までの所要時間を5時間48分と案内していたが、途中で休憩を30分ほど取ったにもかかわらず5時間20分ほどで到着する。少々飛ばし気味だったかもしれない。

すっかり日が沈んでしまった18時頃、宿毛に到着する。晩ご飯をどこかのお店で食べようと思っていたが、コロナ禍なのと車なので酒が飲めないという理由で、宿毛駅近くにあるスーパーフジで食材を調達し車の中で食べることにした。宿毛駅前には無料駐車場があり駅にトイレもあるのだが、どうやら終電以降はトイレを封鎖するようだ。トイレがないのはイタダケナイ。駅から5分ほどのところに「道の駅すくも」があるので、そこで車中泊することにした。「道の駅すくも」にはすでに数台の車が車中泊している。高知と言えば「カツオのたたき」は外せない。ハマチとアジとサーモンのお造り、鶏メシとポテトサラダを日本酒でいただく、あぁ~幸せ。

車内でひとり宴会もまた楽しいものなのだ。テント用の折りたたみテーブルを持ってくればよかったなぁ。

司牡丹の「土佐のこうち」をラッパ飲みする。

すべての窓に手作りサンシェードを取り付けると車内に外の光はほとんど入らない。外から覗かれることもないだろう。まぁ覗かれてもどうってことはないけれど。車は8人乗りのいわゆるミニバンなので2列目シートを最前部までスライドさせ、3列目シートを床下へ仕舞うと180cm近い自分も広々足を伸ばして横になれる。歯磨きするためトイレに行こうと車を降りると駐車場に愛想のイイ猫ちゃんがいた。トイレまでついてきた猫ちゃんとじゃれ合いながら歯磨きをし、車に戻りコールマンの寝袋に横たわると、あっという間に意識が無くなりバク睡した。

江戸時代に出版された「四國徧禮道指南」(しこくへんろみちしるべ)という四国遍路についての当時のガイドブックがある。貞享4年(1687年)に眞念という僧が書いたこの書物は、版を変えながら出版され続け、江戸時代の大ロングセラーとなった。

原稿作者の眞念は土佐出身で大坂の寺嶋を拠点としていた僧侶で、20回以上も四国を回り、弘法大師が開いた霊場を巡り、道標や遍路宿を設置し、八十八ヶ所の寺院を選び順番を付けた。その経験をまとめた原稿を素に、大坂の野口氏がお金を出し、高野山奥の院護摩堂に住む洪卓が読みやすく編集し刊行したものが「四國徧禮道指南」として出版され普及した。それまでの四国遍路は一部の僧侶や修験者が本格的な修行のために、修行の場を求め移動をしていたに過ぎず、眞念が広めた「四國徧禮道指南」というガイドブックにより、四国遍路が一般人に開かれ現在も信仰されている。

「四國徧禮道指南」は香川大学の稲田道彦先生が研究されており、原文は香川大学の瀬戸内圏研究センターのホームページにデータベースとして見る事ができるが、自分で原文を読み解くことは全くもってできない。

「四國徧禮道指南」を現代文に訳した本がある。稲田道彦先生が研究され出版されたこの本は、江戸期の四国遍路がどのようなものだったのか、当時の遍路風景や遍路旅の厳しさが伝わり、とてもおもしろく、ハンパの無いタイムスリップ感を味わいながら熱心に読みふけった。当時の地名、川の名前、そして遍路の人々に親切に接してくれる個人名までが記載されている。

今回は、その「四國徧禮道指南」を参考にしてルートを決めた。当然ながら国道ではなく、いわゆる遍路道を進むルートとなる。きっと当時の雰囲気を色濃く残した風景に出会えるだろう。そして文中に出てくる遍路に親切に接してくれていた人々の子孫の方に会えれば最高だ。

昨晩は「道の駅すくも」で車中泊をした。晩飯のあとは車内で特にすることもなく早寝したので、当たり前のように早起きをしてしまう。睡眠時間はバッチリ確保でき、目覚めスッキリで身支度を整え、夕べの猫ちゃんと軽くジャレ合いながら、おにぎりの朝ごはんを腹に収めて、道の駅から宿毛駅に移動する。車は宿毛駅の無料駐車場に停めさせてもらおう。自転車の後部にキャリアを取り付け、バックをくくり付ける。時刻は午前6時30分、天気も最高、さあ出発しよう。

宿毛から県境を越えて観自在寺の建つ愛媛県愛南町(旧御荘町)へは、国道56号線を進むとトンネルと緩やかな上り坂、下り坂で、苦もなく到達することができるだろう。しかし「四國徧禮道指南」に記されたコースは、標高300mの松尾峠という峠を超えるかなりの難コースのようだ。現代文に訳すとこう書かれている。寺山院から伊予国の観自在寺まで七里あり、その内の三里半の松尾峠までが土佐領。伊予に入ってすぐの地域では時に米を買うこともできないので、宿毛村で持ち物を支度していくとよい。貝塚村。錦村。小深浦村。大深浦村に番所があり、土佐通路の切手はここで渡す。この先が松尾峠。土佐と伊予の境に標石がある。その前に休息所があり、そこから蒲葵島、沖ノ島、ひろせ島、多くの漁家が見える。これより伊予国。小山村で宇和島藩の番所が切手を改める。広見村。篠山越えで稲荷へ向かうときは荷物をここへ置き観自在寺までを往復する。上大道村。城辺村。そして四十番 観自在寺へいたる。

宿毛駅から2,3分でへんろ道の入口に着く。ワンちゃんを連れたお散歩夫婦に挨拶をいただき気をよくする。何故かへんろ道は山の麓を通っている。宿毛駅付近の平野は埋め立てによるもので、昔は海だったから山すそを通っていたのだろうと推測する。

宿毛貝塚。縄文時代中期から後期の貝塚で、当時の人たちが廃棄したゴミ捨て場。人骨、縄文土器、石器、獣骨、魚骨、貝類が出土している。「四國徧禮道指南」に記されている「かいつか村」はこの辺り。

さっそく山登り開始。

がけ崩れ、恐ろしや~

50mくらい登っただろうか。体が慣れるまでとてもとてもシンドイ。

せっかく登ったのに下り坂になり、ガシガシと下りオフロードを楽しんでいると、クモの巣に頭と顔を引っ掛けられる。クモの巣はイヤだ~、ネチネチとへばり付く感じがたまらなくキモい。引っ掛けられる度に立ち止まり、髪や顔にへばり付いたクモの糸をぬぐう。そんなこんなでとても時間がかかってしまったが錦という集落に着く。「四國徧禮道指南」に記されている「にしき村」はこの辺り。

山と山に挟まれた錦の集落の端に建つ農家の庭先から山の中へと遍路道は続いている。道を塞ぐように木と木の間にクモの巣が張り巡らされている。クモの巣があるという事は今日はまだ誰もへんろ道に踏み入ってないようだ。この先もクモの巣にヤラレまくる。

坂道は苦じゃないが、クモの巣がイヤ過ぎる。

クモの巣が気になり、ガシガシ進めない。

やがて小深浦の集落が現れた。「四國徧禮道指南」に記されている「こふか原村」はこの辺り。

小深浦の集落から再び山道へと入る。またクモの巣に頭と顔を引っ掛けられる。引っ掛けられる度に立ち止まり、髪や顔にへばり付いたクモの糸をぬぐう。

山へ踏み入れたがやがて大深浦の集落に降りてきた。大深浦にある松尾峠番所跡に到着する。「四國徧禮道指南」に記されている「大ふか原村」はこの辺り。当時の通行人はここで土佐通路の切手を渡し、役人に調べられた後、伊予国宇和島領へと向かっていた。

宿毛駅から30分ほど掛かりようやく松尾峠への入口に着く。クモの巣にやられ随分と時間が掛かってしまった。ここからが峠道の本番。距離は1.7kmとあるが、斜度はどれほどだろうか。

斜度はきつめ。クモの巣が本当にイヤで心が折れそうになる。今から国道を行こうかと本気で考える。が、せっかくなので峠道へと進んで行く。

いよいよ峠道となり、自転車を漕いでは登れないほどの斜度となる。

自転車を押しながら山道を登って行く。咸陽小学校のみんな応援ありがとう、がんばるよ~

街道の石畳。案内板には、この道は重要な街道であったため、雨水で土の流失のおそれのある所には石畳がしかれ、路面を整備していた。と書かれているが、昨今の大雨でしっかり流失してしまっている。がけ崩れしている上側の斜面を自転車押して恐る恐る登って行く。

坂の斜度はきつく、道幅は狭く、路面は悪い。自転車は押していくしかない。

松尾峠の頂上から見る宿毛湾のきれいな景色を楽しみにがんばるよ~

道は狭く下草に覆われ、そして何度もクモの巣に頭と顔を引っ掛けられる。クモの巣はイヤだ~、ネチネチとへばり付く感じがたまらなくキモい。

笑顔でがんばるよ~ 森の中でひとりでワッハッハと笑ってみたりする。ウソ笑いでも気持ちが晴れやかになるな。

もうそろそろ峠の頂上に着かンかな~と思っているとベンチがあり、ついに頂上かと喜んでみたが、頂上ではなかった。もう思考回路が働かない。

麓の入口から自転車を押しながら、およそ45分で松尾峠の茶屋跡に到着する。「四國徧禮道指南」には「土豫のさかひ標石有 其まへ休息所」と記されている。当時はココに茶屋があり、峠を登ってきた人が一服していた。

茶屋跡からは宿毛湾の絶景が見えた。「四國徧禮道指南」には「ひりやうかしま おきの嶋 ひろせ嶋 漁家多く見ゆ」と記されている。

遠くに見える小さい島が「ひりやうかしま」と記された蒲葵島、大きい島が沖ノ島だろう。ひろせ島っていうのは不明とのこと。

昭和初期まで弘法大師が祀られた大師堂があったと記されている。このお堂は近年建てられたもの。

高知と愛媛の県境、松尾峠に到着。長かった高知が終わり愛媛県に入る。高知には、また来たいと強く思う今日この頃。

高知県(土佐)側に建つ石柱には「従是東土佐國」と刻まれている。

愛媛県(伊予)側に建つ石柱には「従是西伊豫國宇和島藩支配地」と刻まれている。

松尾峠の頂上から観自在寺へ行くには、まっすぐ進むのだが、左に進むと純友城址がある。城好きとしては行っておかないと気が済まない。峠から300mほどの所に純友城址展望台があるようなので歩いて行ってみることにする。自転車をパクる人はいないだろうが、太っとい竹にワイヤーロックしておく。

道中はやっぱりクモの巣だらけなので、落ちている手頃な木の枝でクモの巣を破壊しながら歩いて行く。純友城址と書かれた立て札があったが、クモの巣が凄すぎて展望台が見つけられない。

先に進もう。松尾峠から愛媛県側に入ると、緩やかな下り坂となり、道も整備されている。マウンテンバイクの本領発揮、気をよくしてガシガシ走っていると倒木があったりするので油断ならない。

木々の間から見晴らしの良い場所もある。

最高のオフロード、林道ダウンヒルを全力で楽しむ。へんろ道ダウンヒルにハマりそうだ。

調子に乗っていると突如階段になっていて、転落あわや大惨事となるところだった。

階段を下りていくと、あぁ残念、楽しいオフロードが終わってしまった。昔ながらの遍路道はココまで。標高差200mを駆け下りてきた。

やがて小山の集落が現れた。「四國徧禮道指南」に記されている「こやま村」はこの辺り。

小山にある小山番所跡と思われる祠に到着する。「四國徧禮道指南」に「こやま村 番所切手を改る」と記されている。当時は宇和島藩の番所が通行人の往来手形を改めていた。