四国で生まれ四国で育ち、やがて都会に憧れ関西で一人暮らしをはじめる。月日は流れ今では関西での生活が四国時代よりも長くなった。
生まれ育った四国松山は、正岡子規に「春や昔十五万石の城下哉」と詠まれたレトロモダンな城下町。そんな城下町のいわゆる下町で育ち、幼き頃の遊び場といえば、路地裏や空き地、田んぼや畑、河原や小山、神社やお寺であった。近所の駄菓子屋でお菓子を買いドロケイやロクムシ、缶けりで明け暮れていた。
仲間たちと自転車に乗り近所のお寺に遊びに行った。そこは静かな雰囲気のお寺だった。時には母親に連れられ車掌さんが乗るバスに乗り、少し遠くのお寺にお参りしていた事を憶えている。今思うと水子供養だったのか。そこはにぎやかなお寺だった。いつも屋台がでていて参拝客にあふれていた。鐘をつき、洞窟に入り、名物の焼もちを買ってもらって食べるのが楽しみだった。習い事の合宿では山深いお寺の宿坊に泊まり、早朝に本堂でお経を唱え一日が始まり、練習に明け暮れた。それらお寺はすべて四国八十八箇寺のお寺であった。
日常的に道行く白衣菅笠姿のお遍路さんは、毎日の風景に溶け込んでいたように思い出す。お遍路さんにジュースを渡したり、托鉢のお椀に小銭を入れたりしていたことがなんだか懐かしい。哀愁というやつなのか。
ある日突然、お遍路に出掛けたくなった。
子供の頃、カードを集めるのが好きだった。仮面ライダーカードやプロ野球カード。そして永谷園のお茶漬け海苔には歌川広重の東海道五拾三次の浮世絵カードがおまけで入っていた。
旅情感や画の面白さ、手ごろな大きさのカードという事で少しばかり集めていたが、そうそうお茶漬けばっかり食べさせてくれないし、そもそもおまけ目当てでなんかで買ってくれない。しかし東海道五拾三次に興味が芽生えたのは永谷園のお茶漬け海苔なのはまちがいない。
京の三条大橋を出発し、歌川広重の東海道五拾三次と同じような構図で、現在の宿場の写真を撮りながら、お江戸日本橋を目指す旅。
江戸に辿り着いたら歌舞伎町で遊ぶんだ。
古代からの道は現代も姿を変え残っている。何気ない住宅街や商店街が歴史街道であったりする。旧街道沿いには名所や旧跡、社寺や城郭など歴史を感じる風景がある。今では生活感にあふれる通りだが、旧家や古民家が点在し昔の雰囲気を残している。
昔の地図と現代の地図をマッピングさせ、過去の風景や出来事を想像し旧街道を巡る。
タイムスリップしたような感覚がとても楽しい。
タイムを競い、難関なコースをいかに制覇するかといった自転車競技は、すぐれた運動能力や強靭な肉体そして練習し努力する事が必要だ。なんちゃってな我が人生、そんな事は求めていない。
新しい街並みのスポットや古い町並みのレトロ建造物を見る。花や木々の季節の移り変わりを感じる。都会の街や田舎の風景ので暮らす人々に接し、そしてその土地ならではのグルメを満喫するあてもない自転車旅、それがポタリング。
街を抜け、坂道を登ると里山の風景が目に沁みる。そしてダウンヒルを高速で駆け降りるスピード感に酔いしれる。川沿いを走りやがて風景は海辺へと変わる。しまなみ海道や淡路島一周(あわいち)、琵琶湖一周(びわいち)といった、目的地を設定し海辺や里山の美しい景色を満喫し、その土地ならではのグルメを満喫する自転車旅、それがツーリング。
自転車を漕ぎながら、新発見と美しい景色を求めぶらぶらするのもまた楽しい。