自転車で旅

四国松山の島民だった子供の頃、そこそこ金持ちの友達の家には屋根の上に背の高いテレビアンテナが立っていて、海の向こうの広島のテレビ番組を見せてもらった。その当時、民放2局とNHKしか映らない自宅のテレビでは見られないドリフやアニメを見せてもらった。やがてうちにも背の高いブースターアンテナを設置することになり、広島のテレビを見ることができるようになった。憧れの番組だけでなく、そこに映るのは新幹線や高速道路、ナイター設備のあるプロ野球の球場など、四国にはないものが煌びやかに見えた。都会への憧れが芽生えたのはその頃だったように思い出す。

やがて四国と本州が橋で繋がる夢の本州四国連絡道路なるものが3ルートもできる事となる。四国からは船か飛行機でしか行けなかった本州に橋で渡れる時代となった。

四国生まれの島民としては瀬戸内海を自分の足で渡ってみたい。

 

四国で生まれ四国で育ち、そして今では関西での生活が四国時代よりも長くなった。

四国松山は遥か昔十五万石の城下町。松山のいわゆる下町で育ち、幼き頃の遊び場といえば、路地裏や空き地、田んぼや畑、河原、神社、お寺であった。近所の駄菓子屋でお菓子を買いドロケイやロクムシ、缶けりで明け暮れていた。

近所の仲間たちと自転車に乗り四国八十八箇寺のお寺に遊びに行った。そこは静かな雰囲気のお寺だった。時には母親に連れられ車掌さんがいるバスに乗り、お寺にお参りしていた事を憶えている。今思うと水子供養だったのか。そこはにぎやかなお寺だった。いつも屋台がでていて参拝客にあふれていた。鐘をつき、洞窟に入り、名物の焼もちを買ってもらって食べるのが楽しみだった。そのお寺も四国八十八箇寺のお寺であった。合宿では山あいのお寺の宿坊に泊まり、早朝に本堂でお経を唱え一日が始まり、練習に明け暮れた。そのお寺も四国八十八箇寺のお寺であった。

日常的に道行く白衣菅笠姿のお遍路さんは自分の生活の中の一部として溶け込んでいたように思い出す。なんだか懐かしい。哀愁というやつなのか。

ある日突然、お遍路に出掛けたくなった。

 

子供の頃、カードを集めるのが好きだった。仮面ライダーカードやプロ野球カード。そして永谷園のお茶漬け海苔には歌川広重の東海道五拾三次の浮世絵カードがおまけで入っていた。

旅情感や画の面白さ、手ごろな大きさのカードという事で少しばかり集めていたが、そうそうお茶漬けばっかり食べさせてくれないし、そもそもおまけ目当てでなんかで買ってくれない。しかし東海道五拾三次に興味が芽生えたのは永谷園のお茶漬け海苔なのはまちがいない。

四国遍路に出掛けたくなり京都の東寺にお参りし、たまたま行き着いた場所が三条大橋だった。歌川広重の東海道五拾三次と同じような構図で、現在の宿場の写真を撮りながらお江戸日本橋を目指す旅。

江戸に辿り着いたら歌舞伎町で遊ぶんだ。

 

古代からの道は現代も姿を変え残っている。何気ない住宅街や商店街が歴史街道であったりする。旧街道沿いには名所や旧跡、社寺や城郭など歴史を感じる風景がある。今では生活感にあふれる通りだが、旧家や古民家が点在し昔の雰囲気を残している。

昔の地図と現代の地図をマッピングさせ、過去の風景や出来事を想像し旧街道を巡る。

タイムスリップしたような感覚がとても楽しい。

 

タイムを競い、難関なコースをいかに制覇するかといった自転車競技は、すぐれた運動能力や強靭な肉体そして練習し努力する事が必要だ。なんちゃってな人生、そんな事は求めていない。

ダウンヒルを高速で駆け抜けるスピード感や山道の悪道を走る走破感は気分爽快だ。でも、新しい街並みのスポットや古い町並みの歴史的建造物を見ながら、花や木々の季節の移り変わりを感じ、都会の街や田舎の風景ので暮らす人々に接し、そしてその土地ならではのグルメを満喫する。

あても無く自転車を漕ぎながら、新発見を求めぶらぶらするのもまた楽しい。