瀬田から草津宿、石部宿、横田川渡し その2

草津宿から目川の里を走り、国道1号バイパスの高架下をくぐると石部宿の入口に着いた。

石部西縄手。常夜灯と東海道五十三次のパネルが一角にある。

石部宿

上段:スタンフォード大学所蔵 明治25年測量 昭和3年部分修正 大日本帝国陸軍測図の地形図  下段:Google Map 2017

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、石部宿は、1843年には本陣2軒、旅籠32軒、家屋1,606軒があった。京を出た旅人が1日で到着する距離に位置している石部宿。「京立ち石部泊り」と言われていた。江戸日本橋まで、あと116里18町7間。

石部(目川ノ里)ここじゃない

歌川広重 東海道五拾三次 石部 目川里 保永堂版

石部の画はすでに通り過ぎた草津宿近くの目川の茶屋がモデル。歌川広重は東海道名所図会の挿絵を参考にしたようだ。同書を開いたとき目川の茶屋の挿絵が左ページで右ページには石部宿の説明が書かれている。それを見て目川の立場が石部宿の近くだと誤解したようだ。

という訳で、石部宿で目川の茶屋っぽい場所を探してみる。

石部宿パターンA。石部西縄手近くの小川越しに旧家を撮影。

石部宿パターンB。石部宿田楽茶屋を撮影。腹が減った。うどんを食いたいが開店前のよう。店の中では、おばちゃんとおっちゃん2人の3人組みが楽しげにしゃべっている。

石部宿パターンC。小島本陣址で撮影。歩き東海道のおっちゃんに写真撮影を頼まれる。観光地に行くと決って写真撮影を頼まれるのはなぜなんだ?

小島本陣址でトイレ休憩。掃除中のおばちゃんと世間話をするが、いつのまにか二階で掃除機を掛け始めた。

石部の町並み。人がいない。

徳川により整備された東海道の宿場町は大名の参勤交代や多くの旅人で賑わい発展してきた。しかし、明治維新からの鉄道開通により、その運命が分かれてしまう。明治5年9月12日、新橋駅と横浜駅間が日本で始めて開通したのを皮切りに、明治7年5月11日には大阪駅と神戸駅間が開通。東海道線は明治22年7月1日に全線が開通した。時代とともに徒歩から馬、そして鉄道から車へと移動手段は変わっていく。東海道の宿場町は、その東海道線という鉄道の通るルートによって大きく運命が分かれてしまった。

鉄道の敷設は東海道の宿場町を通るようにルートが決められていったようだ。しかし、当時の蒸気機関車は性能が低く急坂を登れない。そのため峠越えとなるルートは敬遠され、迂回された宿場町は人や物の流れから孤立し、そして近代化の波も押し寄せてこなかった。

草津宿から関宿へと抜ける東海道ルートは、鈴鹿山脈という難所があるため東海道線のルート選定から外された。東海道線は草津宿から中仙道沿いとなる関ヶ原を越え岐阜へと抜けるルートが選定された。よって、ここ石部宿から水口宿、土山宿、坂下宿、関宿までは、鉄道による人や物の流れから外れ、そして時代の流れからも取り残されいく。しかし、今となっては貴重な古い建物が残り、町並みは昔の雰囲気を色濃く残し、のどかでかつ優雅な人々の生活を感じる事ができる。

街道脇に平松のウツクシノマツ自生地と書かれた看板がある。国指定の天然記念物らしい。街道から1kmほどなので見に行ってみる。しかし全編坂道でかなりしんどい。小じんまりとした新興住宅地を抜けるとグラウンドに出た。グラウンド脇の山には松の木が生えている。これがウツクシノマツ。

天然記念物ウツクシノマツ。

タンポポ真っ盛り。街道までの帰りは下り坂が楽しみだ。

北島酒造。杉玉が吊るされている。中に入ろうかとも思ったが、宅急便の兄ちゃんと業務連絡中だったのであきらめた。

宮水。

前方にトンネルが見えてきた。

由良谷川隧道。明治19年(1886)築造。

由良谷川隧道。

由良谷川隧道。切石造のアーチ断面を持ったトンネル。美しい。

大沙川隧道。明治17年(1884)に滋賀県最初の道路トンネルとして築造。別名「吉永のマンポ」。堤の上には「弘法杉」と呼ばれる樹高26m、周囲6m、樹齢約750年の大杉。

弘法大杉。弘法大師がここで昼食をとった際、杉の箸を突き刺したところ根付いたという杉の木。

そういえば今日は朝起きてから何も食べていない。大沙川隧道を抜けた先の長谷商店でパンとお茶を買う。お店の奥さんとしばし立ち話。兵庫から出発して東京を目指しているといったら、まあ大変。がんばってと言ってくれた。区切りで進んでいるというのを分かってないのかもしれない。

長谷商店の奥さんお勧めの、店の向いにある「おもてなし処」でパンを食べていると、壁の時計を見て愕然とする。もう10時半。午後からの予定に間に合わないかもと、びびりながらスマホの乗り換え案内で時刻チェック。この先の三雲駅から瀬田駅へ戻ることにする。でもここから2kmほど山を登ったところに三雲城がある。石垣や曲輪が残っている。三雲典膳が築城し近江六角氏の重臣として代々三雲氏の居城であった。城好きとしては行ってみたいが時間が無いのであきらめた。

草津線の踏切を斜めに越え東海道は続いている。

横田川渡しの常夜灯。東海道十三渡しのひとつで、幕府の政策で橋が掛けられなかった。

急いでいるが、河原へと下りてみる。渡しがあった遺構や痕跡は何も無い。

ここでタイムアップ。午後から用事があるので帰らなくてはならない。

やっぱり午前中だけだと中途半端でもっと先に進みたい欲求に駆られる。よし!来週も東海道を攻めにくることに決めた。気が変わるのを防ぐため自転車を三雲駅の駐輪場に置いておく事にした。いたずら盗難は大丈夫だろうと高を括るが、無人駐輪場だし端っこの方の木の下に隠すようにとめておく。という訳で、手ぶらな感じで草津線に乗り込み瀬田駅まで戻る。途中、草津駅で乗り換え瀬田から車で帰途に着いた。