京都三条大橋から江戸日本橋を東海道五拾三次で目指す旅。今回は静岡市の府中宿からスタートし江尻宿、興津宿、由比宿と進んできた。
由比から東へ進んできた旧東海道は、直角に向きを変え蒲原の町へと北進する。
蒲原宿
上段:今昔マップon the web 明治28年測図 明治42年発行地形図 下段:Google Map 2018
天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、蒲原宿は、本陣1軒、脇本陣3軒、旅籠屋42軒、宿内家数509軒、富士川河口の右岸にある宿場。江戸日本橋まで、あと37里21町45間。
美しい格子戸の家と題した古民家。
みかんなど売っている古民家。
志田家住宅。
旧五十嵐邸。
雰囲気のある古民家。
手作りガラスと総欅の家と題した古民家。明治四十二年に建築された当家は、柱や梁から一枚板の戸袋に至るまですべてが欅づくりで、磨き込まれた木目が見事。さらに二階の窓ガラスは波打つような面が美しい手作りガラス。
本陣跡。今は民家。
旅籠「和泉屋」。天保年間(1830から1844年)の建物で、安政の大地震でも倒壊しなかった。二階の櫛形の手すりや看板賭け、柱から突き出た腕木などに江戸時代の上旅籠の面影が見られる。
商家の面影を残す塗り家造り。
蒲原 夜之雪
歌川広重 東海道五拾三次 蒲原 夜之雪 保永堂版
宿場町はひっそりと寝静まり、降り続く雪の中、雪道を踏みしめる足音だけが聞こえてくる。蒲原には、宿場から一里ほどに岩淵の渡しから雄大な富士山を望む絶景の地があるが、富士山を画かず、この雪景色を画いた意図は五拾三次全体の構成を考えてのことのようだ。それが逆に名作と評価されている。
蒲原宿には趣のある旧家が数件残っているが、どれも単発で町並みとしては新旧が入り混じっていて、広重の画のような街道筋とはならない。この「なまこ壁の旧商家」がイメージに近いか。今日はいい天気、静岡では10年に1度くらいしか雪は積もらない。
日本軽金属 富士川第二発電所。取水位標高92.8mから海へ直接放流している水力発電所。立軸フランシス水車3台による総出力49,500kw。
梅か桜か、もうすぐ春だ。
東名高速により分断された旧東海道。新坂橋からは富士山がよく見える。
明治天皇の御駐輦跡からも富士山がよく見える。
小さめの秋葉山常夜燈。
岩淵の一里塚。珍しく街道の左右に両塚とも残っている。
岩淵の一里塚は江戸日本橋から三十七里目。
小休本陣常盤家のある通りから富士山がよく見える。
富士川に掛かる富士川橋。昔は渡船で渡っていた。
富士川橋から望む富士山。
富士川橋を渡り橋の真ん中で富士山を撮ってみる。
吉原宿
上段:今昔マップon the web 明治28年測図 明治42年発行地形図 下段:Google Map 2018
天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、吉原宿は、本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠屋60軒、宿内家数653軒、駿河の吉原港として栄えたのは元吉原で、潤井川の氾濫や津波のため、天和元年(1681年)に現在地に定められた。江戸日本橋まで、あと34里27町22間。
JR富士駅から北へ伸びる富士本町商店街。アーケード越しに見える富士山。
中央分離帯により途切れてしまった旧東海道。申し訳ないので道標を立ててみました。という感じ。
三度橋から北西の方角を見る。。三度橋は大坂の三度飛脚の願いで架けられた橋。三度飛脚とは月に三度、江戸と京大坂を往復した飛脚の事。
鯛屋旅館。天和二年(1682)の創業の宿屋。
富士市内の吉原商店街が旧街道となっている。
吉原本町駅を出発する岳南鉄道7001電車。
治承四年(1180)の源平富士川の合戦で平家が陣を張った。しかし水鳥の羽音を源氏の襲来と間違え西へ逃げた。という場所。
名勝 東海道左富士。江戸からの旅人は、常に右側に富士山を見ながらやってきた。しかしこの付近で東海道は大きく湾曲するため、左側に富士山が見えるようになる。今はガッツリ日清紡の工場のおかげで何も見えない。
吉原 左富士
歌川広重 東海道五拾三次 吉原 左富士 保永堂版
江戸時代初期まで吉原宿は田子の浦に面していたが、津波の被害により内陸の現在地に移転した。元の吉原から出ると東海道は海から離れて北へ向きを変えるとともに蛇行した経路をとる。江戸方面から西へ向かう旅人は、それまでずっと向かって右に見えていた富士山が、左手に見える事となる。この左富士が東海道の奇観として有名になった。松並木の東海道は右へ左へと折れ曲がり、シルエットのように浮かんだ富士山が街道の左側に配置されたところへと視線を誘導させられる。馬には三宝荒神と呼ばれた乗り方で、三人の子供が乗っている。中央の子供が富士山の方向を見ているのも、富士山へと視線を誘導する広重の狙いだろう。
わずかに残る松の木と街道の左側に位置する富士山が見事だが、電柱や電線、日清紡の工場を何とかできないものだろうか。
左富士神社。
JR吉原駅を過ぎ、東海道本線の踏切を越えると、元吉原。この付近が江戸時代初期は吉原宿だったが、延宝八年(1680年)の大津波で壊滅してしまった。ああ恐ろしや。