京都三条大橋から江戸日本橋を東海道五拾三次で目指す旅。今回は静岡市の府中宿からスタートし、江尻宿、興津宿、由比宿、蒲原宿、吉原宿と進んできた。
田子の浦近く。田んぼが広がり富士山まで遮る物が何も無く、富士山の雄大さがよく分かる。歌川広重の原宿の画はそんな雄大な富士山。いい場所を探しながら進んでいく。
10年前の8月に登ったなぁ。思い出は、寒い、しんどい、頭痛い、ビールぬるい、カレー少ない、そして日焼けがハンパ無い。
ススキを手前に入れてみる。人を入れた写真が欲しい。
原 朝之富士
歌川広重 東海道五拾三次 原 朝之富士 保永堂版
富士山の高さを強調するために画面の枠からはみ出させて画いている。富士の裾野を半分隠すゴツゴツとした稜線の山は愛鷹山で、手前には広大な葦原が広がっている。羽を休める鶴と、荷物を担ぐ供を伴う母と娘の旅人を画いている。
東海道沿いからは建物が遮り広大な富士の風景が見られない。旧東海道から一旦離れ、遠方に富士山を望みグランドゴルフに興じる人々を撮影してみた。
せっかくなので、田子の浦を見てみたい。雰囲気のある松林。昔は松林の向こうには白い砂浜と青い海が広がっていた。今、松林の奥に見えるのは津波から守るスーパー堤防。松原と砂浜は堤防で分断されてしまっている。
海からの強風でみんな内陸側に傾いている。
田子の浦~うち出てみれば堤防の~
富士の高嶺に、雪は降りつつ~。
堤防の向こうにはグレーな砂浜。遠くに見えるのは沼津の街だろう。
原宿
上段:今昔マップon the web 明治28年測図 明治32年発行地形図 下段:Google Map 2018
天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、原宿は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋25軒、宿内家数398軒、鎌倉時代から原中宿として東海道の宿場町で、東海道中最小規模の宿場だった。江戸日本橋まで、あと31里27町。
田子の浦を満喫したので、ちょいと休憩。元気はつらつオロナミンCはうまいっす。
東へ進むにつれ、富士山は愛鷹山の山陰に隠れていく。
高嶋酒造。銘柄は白隠正宗(はくいんまさむね)。旨いかどうだか飲んでみたい。
原宿の問屋場跡はラーメン屋の隣り。
JR片浜駅。富士山がどうなったか橋上駅舎から確認しよう。実はトイレ休憩。
富士山は半分近く隠れてしまった。そしてJR片浜駅のトイレは改札の中にあるので借りられない。
沼津宿
上段:今昔マップon the web 明治28年測図 明治32年発行地形図 下段:Google Map 2018
天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、沼津宿は、本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠屋55軒、宿内家数1,234軒。狩野川の河口に開けた地で、室町時代に後北条氏の城がつくられて城下町として発達し、江戸時代は沼津藩の城下町として栄えた。江戸日本橋まで、あと30里9町。
沼津市内にある浅間神社。丸子神社が合祀されている。
沼津宿、清水本陣跡。今はマンション。向かいはタクシー会社。
中村脇本陣跡。
高田本陣跡。今は駐車場。
三枚橋城外堀石垣。
川廓通り(かわくるわどおり)。川廓町は東側は狩野川に接し、背後は沼津城の外郭に接した狭い町で旧東海道はそこを進む。現在、沼津城は中央公園となり面影は何も無い。
沼津 黄昏図
歌川広重 東海道五拾三次 沼津 黄昏図 保永堂版
黄瀬川なのか、その本流の狩野川なのか、意見が分かれるところだが、本流へと流れ込む支流に橋が画かれており、その橋は牢人橋だろうか。さらにその先の民家の屋根をしのぐ大屋根は日枝神社だろうか。そう考えると、夕暮れ時に西から満月が昇っているという矛盾も生まれる。行者の男は大きな天狗の面を背負い、はるか四国讃岐の金刀比羅宮を目指す金比羅参り。笠を被った母娘連れは伊勢神宮への参拝か。ともに今日の宿は沼津宿のようだ。
狩野川はすっかり堤防で護岸されている。旧東海道の川廓通りは堤防で見えない。浅間神社も沼津のビル街に隠れて見る事はできない。狩野川に架かる手前の橋はあゆみ橋、奥に見えるのは御成橋。
狩野川、黄瀬川、香貫山。
黄瀬川橋を渡ると少しだけ松並木が残っている。
三島宿
上段:今昔マップon the web 明治28年測図 明治32年発行地形図 下段:Google Map 2018
天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、三島宿は、本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠屋74軒、宿内家数1,025軒。古代には伊豆国府が置かれ、三嶋大社が鎮座する。江戸時代には東海道有数の大宿であった。江戸日本橋まで、あと28里27町。
三島宿の西見附にある常夜燈。
伊豆箱根鉄道の三島広小路駅前。行き交う車が多い。
樋口本陣跡。
本町。人通りが多く、賑わっている。
ゆるキャラ、「みしまるくん」。「みしまるこちゃん」もいるらしい。なんとキャラクターショップまであるフィーチャぶり。
問屋場跡付近。
三島 朝霧
歌川広重 東海道五拾三次 三島 朝霧 保永堂版
三島は伊豆の国唯一の東海道の宿場町で、源頼朝が信仰を寄せた三嶋大明神の門前町。広重の画は、昼間は多くの人で賑わう門前の光景ではなく、早朝霧に覆われた街道を行き来する旅人を画いている。馬の背に揺られる旅人は合羽に包まり、ムシロを体に巻きつけ馬を引く馬子から、早朝の寒さが伝わってくる。
三嶋大社と参拝のため旧東海道を横切る人々。広重の画の副題は朝霧、朝の景色なので明日もう一度撮影してみよう。
三嶋大社にお参りしよう。しまった御朱印帳を忘れた。
拝殿。
三嶋大社本殿。
三島宿の次はいよいよ箱根宿。箱根八里は馬でも越すが・・・という事は、三島宿から箱根まで四里の登り坂。四里といえば16km。標高846mの箱根峠を越えねばならん。という事でまだ早いが今日はここまで。明日の箱根越えのため栄養と休息を取ろう。名物、三島コロッケが食いたかったが、新ジャガの季節にしか販売していない。
三島から見る富士山は、宝永火口が正面に見えるんだなぁ。ちょっと痛々しい富士山。
休息は、三島にある店舗数日本一のスーパー温泉 極楽湯。これは温泉を満喫して出てきたときの写真。
すべての湯船にゆっくり浸かり、うたた寝コーナーでうたた寝どころか爆睡する。気が付けばもう夜も更けていた。そういや晩メシ食ってなかった。夜更けの三島の街を湯冷め気味で晩ご飯を探しながら自転車を漕ぐ。
でも何だか疲れた。晩飯はもういいや。そして昨晩に引き続き、今晩もネットカフェにて夜を明かす。コスト重視の自転車旅、ネットカフェはとっても重宝。
ネットカフェゆう遊空間。支払いは現金のみ、残念ながらクレジットカードが使えない。翌朝、箱根へと出発。