静岡から江尻宿、興津宿、由比宿 その2

京都三条大橋から江戸日本橋を東海道五拾三次で目指す旅。今回は静岡市の府中宿からスタートし清水にある江尻宿にやってきた。清水エスパルスドリームプラザの近くに建つ高層マンションの14階から清水港の眺望を撮影した。

清水駅前銀座商店街のモモクロの似顔絵を横目に旧東海道へ戻る。

一夜干しで日本酒が飲みたい。こういう光景を見ると港町を実感する。

江尻宿の外れ袖師にある一本松。

興津宿

上段:今昔マップon the web 明治28年測図 明治42年発行地形図  下段:Google Map 2018

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、興津宿は、本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠屋34軒、宿内家数316軒、鎌倉時代から戦国時代にも興津宿として東海道の要所だった。江戸日本橋まで、あと40里33町45間。

雰囲気のあるたたずまい。

静清バイパスの高架下をくぐると興津宿へと進み入る。

坐漁荘 西園寺公望公別邸。西園寺公望公が政治の最前線から引退した後、1920年に建てた木造2階建ての京風数寄屋造りの別邸。老朽化のために取り壊され、愛知県犬山市の明治村に移築されたが、復元工事により、2004年から一般公開されている。まだ開館前なので入れない。

清見興国禅寺へは線路を越えなければならん。海と山に挟まれた町を実感する。

津嶋神社へも踏み切りを渡らねばならん。

興津宿西本陣跡。ドラム缶と並んで石碑がある。

興津宿東本陣跡。石碑があるが普通の住宅。

興津宿本陣公園。興津の街道筋には丸ポストがちょいちょい残っている。

奥津 興津川

歌川広重 東海道五拾三次 奥津 興津川 保永堂版

興津宿は奥津や沖津など、さまざまに表記されていて広重の画は奥津と書かれている。駿河湾に注ぐ興津川の河口付近を、徒行渡しで渡る光景。川の中州から河口方向を望み、山裾の岩や山はだが薩埵山の険しさを表現している。松林の向こうに砂浜と海が見え海岸に近い地域である事がよくわかる。四人もの駕籠かきが担ぐ籠と、苦しそうな馬には相撲取りが乗っている。

興津川の渡し付近には、国道1号線静清バイパスや旧国道1号線の橋、JR東海道線の鉄橋が架かり海まで見渡せない。おまけに川底の浚渫中のため重機が唸りを上げて働いている。

海が見たくて国道1号線に出てみるが、やたら交通量が多く中央分離帯もあって浜へは行けない。

犬を連れて散歩をしている夫婦に、浜への行き方を尋ねると、親切に案内して連れて行ってくれた。

東には伊豆。

西には三保の松原。

沖にはタンカー。

寒いのにサーファー。

川越遺跡。興津川を渡る旅人は、川会所で越し札を買い、蓮台か人足の肩車で川を越した。越し札の値段はその日の水深によって違った。ここから先は津波の被害により旧東海道は内陸側へ迂回する。

「スーパーまるそう」でドリンクとチョコとアメちゃんを補充しておく。レジのおばあちゃんに「ハイキングかい?」と聞かれ、「出来立てのオニギリあるよ」と勧められる。薩埵峠で朝ごはんにオニギリを食べようかと思い買っておく。

瑞泉寺付近はレトロな雰囲気。

区画整備された直線の急坂を進まねばならん。

急坂は墓場へと続いていた。墓場の通路が旧東海道、その先は山の中へ階段が続いている。

お墓の掃除をしているおばちゃんに、階段はどこまで続いているのか聞いてみると、そこいらヘンまで階段だねぇ、と。

階段の端にスペースがあるので自転車を押し上げられる。

階段終了。でも急坂過ぎて自転車を漕げねぇ。

また階段だよ。右はガケ、慎重に押し上げる。

息が切れる。足元を見るとタンポポが花開いている。もう春が近いぞと。

心臓がバクバク。だいぶん登ってきた。遠くに見えるのは伊豆半島。

薩埵峠に到着。墓場から7分ほど。意外と近かった。

どどーんと富士山! この風景が見たかったのだ。

梅の花がポツポツ咲き始め。

薩埵峠に先着していたダンディ氏としばらく雑談。ダンディ氏も昔、東京から名古屋まで1国東海道ツーリングをしたそうだ。麓で買ったみかんを一袋全部持っていきと言われるが、オモリになるのでとお気持ちだけ頂き、2個だけ頂戴した。

パノラマビュー。

この先に歌川広重の「由比薩埵嶺」と同じ眺めを見せてくれる展望台があるはずだ。ロケーションは蒲原から由比に向けて行くほうが(西から東)富士山を見ながら進めるのでいいんだろう。

みかん畑を抜けて行く。昼間は大量のハイカーで自転車は邪魔者になるんだろう。