浜名湖に浮かぶJR弁天島駅からスタート。浜松にやって来た。浜松餃子の店「むつぎく」の長蛇の列を見て意気消沈、餃子の口のまま先を急ぐ。
JR浜松駅。駅前にはドーナツ型をした巨大なバスターミナルがある。
気になっていたビルは、浜松アクトタワーという地上45階建、高さ212.77mの超高層ビル。 低層部にはガレリアモールとショッピング街・レストラン街で構成される「アクトプラザ」、中層部はオフィス、高層部には「オークラアクトシティホテル浜松」がある。とりあえず今は用事無い。
浜松から天竜川を渡るために東へ進む。途中、点々と松並木が現れる。
中野町にある伊豆石の蔵。明治時代に伊豆半島で切り出された伊豆石で造られた蔵。江戸時代から天竜川流域は伊豆や江戸と船での公益が盛んであった。緑色の流れるような縞模様が美しい。
天竜川の手前の中野町は東海道のちょうど真ん中である事からその名前が付けられた。江戸へも60里、京へも60里。この自転車旅も半分来たわけだ。
江戸時代の天竜川には江戸防衛のため橋が架けられてなく、東海道を行く旅人は池田の渡しによる渡船で渡っていた。明治時代になると舟橋という木橋が架けられた。現在の天竜橋は昭和八年に鉄橋として架けられたもの。
穏やかに晴れた冬空の下、天竜川を渡る。天竜橋には歩道が無いので隣に並ぶ浜松バイパスを行く。
振り返ると天竜川の向こうに浜松市内が一望できる。
見附 天竜川図
歌川広重 東海道五拾三次 見附 天竜川図 保永堂版
諏訪湖を水源とする天竜川は、遠江の中央を南北に貫く東海で有数の大河。古来より暴れ天竜と呼ばれるほどの急流で、東海道辺りの川幅はおよそ10町(1,100m)もある。川には中州があり大天竜、小天竜といわれる流れに分かれ、二つの流れを舟で渡ることを二瀬越えと呼んでいた。この二瀬越えの様子が描かれた見附の絵には、のんびりと舟を泊めて客を待つ船頭とキセルをくわえて世間話にきた隣の舟の船頭が描かれている。中州の向こうには客を乗せて漕ぎ出す舟と岸に着く舟、そして舟を待つ武士たちが賑やかに描かれている。
浜松側から天竜川を撮影する。今は天竜橋が架かり、あばれ天竜もあっという間に渡れてしまう。当然、流れに舟などないし、河原に人の姿も無い。あるのは二瀬の流れと水位計。
見附宿
上段:今昔マップon the web 明治23年測図 明治25年発行地形図 下段:Google Map 2017
天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、見附宿には、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠56軒、家屋1,029軒があった。古代より遠江国府が置かれ、天竜川の川越宿場として賑わっていた。江戸日本橋まで、あと60里17町45間。
天竜川を渡ると磐田市に入る。ここにも松並木が残るが、江戸に向って右側にしか残っていない。反対側の松並木は撤去され道路を拡幅したのだろう。
JR磐田駅。新しいが和風のデザイン。
樹齢700年の善導寺大樟と呼ばれるクスノキが磐田駅前に鎮座する。駅前再開発で善導寺は引っ越したが住職の希望により大樟だけが残された。
磐田駅前。駅前から北へ進む。
磐田市といえばジュビロ磐田。ヤマハサッカー部が前身のJリーグチーム。ジュビロといえばゴン中山、川口、名波、そして中村俊輔。
遠江国分寺跡。何も無い広場。
旧見附学校。現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎は明治八年に落成。
明治16年に3階部分を増築し、5階の建物となった。
内部は無料で見学できる。
館内には教育資料が展示されている。
見附宿の本陣跡には看板のみ。
見附宿を後に東へ進む。遠州鈴ヶ森を過ぎ、緩やかな行人坂を下る。
若干残る松並木。