今日は四日市から出発し桑名七里の渡しに到着。桑名を少しばかりポタリングしてみよう。桑名はなんてったって「その手は桑名の焼き蛤」というくらいハマグリが名物。東海道中膝栗毛のヤジキタさん達も焼き蛤で酒を飲んでいる。すっかり焼きハマグリの口になっている。
まずは桑名城跡。本丸・二之丸一帯が九華公園と呼ばれ、堀が巡らされ小橋が掛けられているが、天守閣はもちろん櫓や門など城の遺構は何も無い。
公園として散歩するには気持ち良さそう。しかし今日は暑すぎる。だからどこにも人がいないのか?
桑名城は永正10年(1513年)に伊藤武左衛門が館を築いたのが起源。その後、慶長六年(1601年)に徳川四天王の本田忠勝により本格的な城郭が築かれ、四重六階の天守閣や櫓51基、多門46基が建ち並び、揖斐川の水を利用した水城で城内から川に舟で出ることができた。
九華公園を後にし、寺町通り商店街へやってきた。
うちは、夢見るハマグリの女の子!桑名市公認キャラクターの「ゆめはまちゃん」やに♪ だそう。
商店街の新貝フーズでは店先でハマグリを焼いてくれる。しばらく眺めて値段チェックしてみたが店員さんは出てこない。ちなみに焼き蛤一人前2個で680円、串蛤1本400円、ビール1本400円。立ち食い立ち飲みしたいが店員さんがいない。
さすが桑名、ハマグリの店は20軒以上あるようだ。食べログ検索で出たのは、歌行燈、日の出、丁子屋、川市、俵寿司などなど。でもどの店も、汗だくTシャツずぶ濡れで入るには敷居が高そう。
丁子屋のメニュー。かなりお上品。
桑名のピンク街。おぉCLUB Mがあるじゃあないか。
桑名の銀座。う~ん。
はまぐり食堂。なんとなく庶民的。汗だくでも歓迎されそう。
焼きハマグリ1個とハマグリの時雨れご飯、ハマグリのお澄まし、ハマグリフライでしめて2,500円也。急須には出汁が入っていて、時雨れご飯を半分ほど食べてから出汁茶漬けにすると味が変わって楽しめるよと、おばちゃんに薦められる。
これが夢にまで見た桑名の焼き蛤。ちょっとイメージと違うような。それはさておき熱いうちに頂くと口いっぱいにハマグリの旨みと海の香りが広がる。が、3カミ目にガリガリガリクソン! あ~残念!
喰ってるあいだ、充電させてもらう。おばちゃん了承済み、電気泥棒じゃあありません。
ということで桑名の街をさらっと満喫し、船で行く七里の渡しの代わりに計画通り佐屋街道で次の宿駅である宮宿を目指し国道1号線を進んで行く。
桑名宿の次は宮宿という名古屋にある熱田神宮の門前町なのだが、旧東海道で二箇所あった海路のうちのひとつ「七里の渡し」が控えている。なぜにこのルートだけ昔人は船で進むという手を使っていたのか。それはいわゆる木曽三川と呼ばれる、長良川、木曽川、揖斐川が行く手をはばむがごとく流れ、そして数々の輪中により複雑な水路なっているから。
ということで国道1号線、揖斐川と長良川に架かる伊勢大橋を渡る。橋の長さは1,105.8m。昭和9年に完成した下路ランガートラス橋。戦争中の機銃掃射による弾痕が残っているようだ。新しい橋の架け替え工事が行われている。
橋の上から遠くに見えるのはナガシマスパーランド。スチールドラゴンというジェットコースターの急角度は尋常じゃあない。昔乗った事があるがとっても恐怖でした。
なばなの里を横目に長島町を走り抜け、木曽川に架かる尾張大橋を渡る。伊勢大橋と同じ下路ランガートラス橋で橋の長さは878.8m。こちらの橋が1年早く完成している。橋を渡るといよいよ愛知県、尾張の国に入る。
隣には近鉄名古屋線とJR関西本線の鉄橋が並んで架かっている。近鉄電車は長大な編成なのに、JRは2両編成。チト悲しげ。
愛知県(尾張の国)の旧街道マップはこちらが便利。PDFをダウンロードして、印刷できる。
木曽川を渡ってすぐを左に折れなければ佐屋街道の起点である三里の渡し跡(佐屋湊)に向かえないのに、気が付くと弥富駅を過ぎている。今日は暑すぎ、戻るのも嫌だし遠回りになる佐屋街道はあきらめて国道1号線をいく。すぐに予定を変える軟弱さをお許し下さい。
金魚の町、弥富町。弥富金魚は日本にいる約25種類の金魚全種類がそろう日本一の産地。
池には金魚がうようよいる。
熟女キャバクラには熟女がうようよいる?
デート中? 若い子は楽しそうでいいねぇ。しばらく後ろから追走するがスピードが遅いので抜き去る。
いよいよ名古屋市に突入する。名古屋突入と同時に味噌カツも出現する。
おぉ~遠くに名古屋駅前の超高層ビル群が見える。名古屋は大都会。でも旧東海道は名古屋の中心は通らない。残念!
たまらん暑い。気温は現在36度なり。宮宿のある熱田神宮まであと7kmほど。
新幹線と名古屋高速の高架をくぐる。国道1号線はやはり走っていても楽しくない。車は多いしチェーン店の看板ばかりが目立つ道。アスファルトの照り返しも暑いし日陰も無いし、ツライツライ。
名古屋の街を南北に流れる堀川に架かる白鳥橋を渡る。七里の渡し跡はもうすぐ。
宮宿(熱田)
上段:今昔マップon the web 明治24年測図 明治26年発行地形図 下段:Google Map 2017
天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、宮宿は東海道で最大の宿場で、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠屋248軒があり、家数2,924軒、人口10,342人だった。熱田神宮の門前町として古くから栄え、近世には名古屋城の入口として、また七里の渡しの港町として大いに栄えていた。江戸日本橋まで、あと88里35町7間。
宮の渡し公園の向かいに建つ熱田荘。明治期の建物で魚半という料亭だった。
こちらは丹羽家住宅。伊勢久という旅籠屋だった。
宮の渡し公園に到着。鐘楼や常夜燈が建ち、川には突堤もありかつて湊であった雰囲気が感じられる。
江戸後期には周りは埋め立てられ川の途中の様相。ここから舟で桑名宿や四日市宿まで行き来していた。
時の鐘という鐘楼が目を見張る。
熱田湊常夜燈。
この付近、その昔はこんなに栄えていたようだ。今は寂れた町並みに人の姿を見かけない。
宮の渡し公園から熱田神宮までは一直線で500mほどなのに、国道247号線と国道1号線が横切っていて一直線には進めない。歩行者自転車は陸橋を登らないと辿り着かない。
熱田神宮南門。一ノ鳥居
大楠の御神木。弘法大師お手植えの樹齢千年の楠木。
熱田神宮本宮。
宮(熱田神事)
歌川広重 東海道五拾三次 宮 熱田神事 保永堂版
熱田神宮への奉納神事として催されていた馬の塔と呼ばれる祭事の様子を画いている。剣祓(けんばらい)を付けてはいないが荒ごもを巻いた裸馬の綱に人々がつかまって走る俄馬(にわかうま)。二つの隊列は有松絞りの揃いの半纏をまとった男たちが疾走している。
端午の節句に催されていた馬の塔は現在熱田神宮では催されていない。ベビーカーを馬に見立て三ノ鳥居を通る人々を撮影してみた。