東海道五十七次(京街道・大坂街道)その4

東海道五十七次。大坂高麗橋から始まる京街道を髭の茶屋まで行ってみる。観光地化された伏見宿を後にし、旧東海道との合流地の髭の茶屋追分を目指す。

墨染町付近。

深草へゆるい上り坂を登っていく。

街道沿いに何気なくいい感じの鳥居が建つ大岩神社。

竹やぶ沿いの登り坂。

登り坂終了。名神高速の防音壁がお出迎え。この先は、醍醐道、奈良街道まで下り坂。ギンギンで下って行く。

醍醐道といえば世界遺産醍醐寺への参拝道。道草グセが出て、少し寄り道。醍醐寺へ向う。

総門から入りましょう。

醍醐寺は、聖宝理源大師が貞観16年(874年)に上醍醐山上で地主横尾明神の示現により、醍醐水の霊泉を得て小堂宇を建立し、准胝と如意輪の両観音像を安置したのが起源。

三宝院は、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建され、醍醐寺の本坊で座主が居住する坊。三宝院庭園は、国の特別史跡名勝。入りたかったが拝観時刻が過ぎていた。

国宝 唐門は、朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる門。門全体が黒の漆塗で、菊と桐の四つの大きな紋には金箔が施されている。

西大門(仁王門)。豊臣秀頼が、慶長10年(1605)に再建した門。仁王像は、もとは南大門に祀られていた像で、平安後期の長承3年(1134)に仏師勢増・仁増によって造立された。

国宝 金堂。醍醐天皇により延長4年(926年)に創建された。当時は釈迦堂といわれていたが二度焼失。現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州湯浅から移築が計画され、慶長5年(1600年)に完成した。この金堂が醍醐寺の中心のお堂で、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺のご本尊。

国宝 五重塔。醍醐天皇のご冥福を祈るために、朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、村上天皇の天暦5年(951)に完成した。高さは約38メートルで、屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が塔の三分の一を占め安定感を感じる。京都で最も古い木造建築物。内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれ、日本密教絵画の源流をなす。

観音堂。ご朱印はココで。

コケがいい感じ。

という事で、世界遺産 醍醐寺をゲット。

醍醐寺を後にし、醍醐道から奈良街道へ、天候悪化。雷が鳴り出した。

一里塚だろうか。やばい雨が降る。

何神社?やばい雨が降る。土砂降りの予感。慌てているのでピンボケ。

ついに降り出した~。ものすごい土砂降り。ハヤリのゲリラ豪雨か~!

あともう少しで髭茶屋追分に到着なのに土砂降りの雨。近くの民家の車庫を借りて雨宿り。スマホの雨雲レーダーで見ると、あと4時間以上は雨が振り続ける予報。傘もカッパ無く、このままよそ様の車庫でいつまでも雨宿りできないが、カミナリがやばい。地図で確認するとすぐ先に新幹線の高架がある。高架づたいに西に行けば、少しは雨に濡れずにカミナリにもあわず地下鉄東西線の東野駅に行けるじゃないか。という事で行ってみるが、ほぼ全身ずぶ濡れで東野駅に到着。こんな事なら髭茶屋まで行けばよかったと思いながら、やる気が無くなり、駅上駐輪場に自転車を置き、駅トイレで着替え帰宅した。

2日後。地下鉄東西線の東野駅の駐輪場に置きっぱにしていた自転車に乗り、山科川を渡る。

牛尾山への標石。

髭茶屋追分はもうすぐ。すだれの奥には卵や野菜の自動販売機。

ゆるい上り坂。

髭茶屋追分

大正元年の地図  時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」

髭茶屋追分到着。標石が折れてギブスがはめられている。

髭茶屋追分、昔はにぎやか。

今は寂れた住宅街。左へ進むと伏見宿経由で大阪高麗橋まで続く大坂街道。右へ進むと京都三条大橋へ続く東海道。

豪雨に襲われ、大阪からここまで延べ2日がかりで東海道五十七次の内の、京街道・大坂街道をコンプリート。