京都三条大橋から江戸日本橋を東海道五拾三次で目指す旅。前回は静岡市の府中宿から出発し、箱根峠を越えて小田原で終了した。いよいよ関東への突入し、東海道五拾三次自転車旅も最終章、今回でお江戸日本橋のゴールを迎えられるだろう。前回に購入した青春18きっぷがまだ3回分残っている。行きと帰りは鈍行旅で決定。残りの1回分をどうしようか、などと考えながら今回のプランをたてる。
ここしばらく土日に用事が立て込んでいて、春の青春18きっぷの有効期間が迫ってきた。有効期間の最後の土日と有休を奮発して都合3日間で旅に出る事にした。妥当なプランとしては、地元を朝5時の電車で出発し小田原を目指す。それでも小田原に着くのは9時間後の14時半。その日は3時間ほどしか自転車に乗れないので藤沢あたりで一泊しようか。翌日は江ノ島と鎌倉を観光し横浜へ、そしてゴールのお江戸日本橋へと進んでいこう。ゴールのあとは歌舞伎町で遊ぶのだ。しかし、桜前線と天気予報が気に入らない。関東の桜は例年よりも早く満開を迎えていると連日ニュースで報道される。桜満開の小田原城は諦めざるを得ない。そして週間天気予報では、出発当日の地元の天気は雨。そして西から東へ自分の移動と一緒に悪天候もついて来る。どうやら春の嵐となる予報、雨、風ともにひどいらしい。それならばと、半日分だけ悪天候の一歩先を行くことにした。
夕刻、仕事を終え、山科駅から新快速 米原行きに乗る。すでに帰宅ラッシュと重なり、自転車輪行は気を使う。
青春18きっぷ。5回分で11,850円なり。という事は1日乗り放題で2,370円。鈍行だけしか乗れないけれど。
青春18きっぷのおもなルールはこんな感じ。JRの快速・普通列車の普通車自由席及びBRT、宮島フェリーが乗り降り自由。1枚のきっぷを1人で5回まで利用するか、5人で1回などのグループでの利用も可能。1人1回あたりの有効期間は乗車日当日限り。乗車日が翌日にまたがる列車を利用の場合は、0時を過ぎて最初に停車する駅まで有効。ただし、東京・大阪付近の電車特定区間内については、最終電車まで有効。新幹線・特急・急行列車・グリーン車等に乗車する場合は特急券・急行券・グリーン券等のほか、別に普通乗車券が必要。ただし、快速・普通列車のグリーン車自由席に限り、グリーン券を買うと乗車できる。
米原から特別快速 豊橋行きに乗る。
JR東海の特別快速と新快速の違いは、大府駅に停まるか停まらないか。
豊橋から普通浜松行きに乗る。3両編成の373系電車。乗り継ぎ時間は3分間、車内はすでに満席だ、ぞっと。
373系電車は特急「ふじかわ」にも使用されている特急形車両。特急クオリティの車内でゆったりと過ごす。でも鈍行列車なのだ。車内の端はセミコンパートメント席になっていて大型テーブルも完備され、とってもいい感じ。大勢でワイワイ旅にはぴったりな電車。
浜松から普通 静岡行きに乗る。
さっきまでの車内とは雲泥の差、すいているとはいえ、ロングシートではどうがんばってもくつろげない。
自転車は最後尾の定位置にキープ。
あと1本、静岡から普通沼津行きに乗る。
日付が変わって24時11分、ようやく沼津駅に着く。改札の若い駅員に日付の変わったふたつ手前の原駅からの乗り越し運賃200円を払うか、青春18きっぷにスタンプを押すかどちらにしますか、と言われ、ポッケナイナイするなよと思いながらも、しぶしぶ200円払う。1本前の電車で到着していたがホームに居たんだ、とゴネてみたら通じるやろか。
駅前にあるメディアカフェポパイが今日のお宿。どうせ5時間くらいしか滞在しないのでネットカフェで充分。
フラットブースは身長177cmのオッサンでも完全に足を伸ばして寝られる。ナイト7時間パックで1,560円。すこぶるコストパフォーマンスが高い。
ネットカフェは夜中でもけっこう物音がする。空調、いびき、足音、コンビニ袋のカシャカシャ音、マウスのクリックなどなど、皆さん夜更かしなのだ。雑音が気に成り出すと寝付けない。でも、この耳栓があると、周りの物音がほとんど聞こえなくなる。ねじってつぶして耳の穴に入れると、ジワリと膨らんで耳の穴にフィットする。ビールを飲んで朝まで爆睡、おかげで寝坊した。
朝、耳栓で目覚ましが聞こえない。寝坊したので始発に乗れなかった。でも沼津から小田原まで乗り換えなしで行ける電車に乗れた。まぁラッキー。
沼津始発の東京上野経由の小金井行き普通電車。車内は完全に東京クオリティ。
沼津熱海間は10両編成。そこに熱海駅で5両増結されて、15両編成となる。まぁなんて人が多いンだろう。
という事で、ようやく小田原駅に到着。少し青空も見える。なんとか西からやって来る悪天候よりも一歩先に出ることができた。青春18きっぷ1回分2,370円と日付が変わった乗り越し代200円、ネットカフェ1,680円、沼津から小田原が760円、しめて5,010円。前乗りのため高モンについたが、正規の運賃だと7,880円なので、まだ少しお徳。雨を避けるため余分な出費となったンだな。
小田原宿
上段:今昔マップon the web 明治29年測図 明治31年発行地形図 下段:Google Map 2018
天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、小田原宿は、本陣4軒、脇本陣4軒、旅籠屋95軒、宿内家数1,542軒。後北条氏の城下町として発展した町で、江戸時代も小田原藩の中心地だった。宿場は城下の町人町に置かれた。江戸日本橋まで、あと20里27町。
自転車を組み立てて、小田原駅前のタリーズコーヒーでモーニングとしゃれ込む。その後、7時40分に出発、駅前の繁華街を通り、ひとまず小田原城を目指す。
小田原城のお堀の桜はすでに葉桜&花吹雪、今年の桜は早足だ。1週間来るのが遅かった。
二ノ丸から本丸へ行きましょう。しだれ桜は咲き誇っている。
立派な松の木に迎えてもらう。七本松のうちの1本。
常盤木門。
常盤木門を通ると本丸。天守がお目見え。唯一咲いているしだれ桜を写し込む。天守閣は江戸時代に造られた雛形模型等を参考に外観を復元した復興天守。
小田原城は、室町時代に西相模一帯を支配していた大森氏が、15世紀の中頃、八幡山に築いた山城が前身。15世紀末、伊勢宗瑞(北条早雲)が大森藤頼から小田原城を奪い、氏綱、氏康、氏政、氏直と北条氏が約100年にわたって関東での勢力を拡大、小田原城も関東の中心拠点として整備拡張された。しかし、天正18年(1590)、石垣山一夜城の築城をはじめとする豊臣秀吉の小田原攻めにより小田原城は開城し氏政は切腹、氏直は高野山での謹慎処分が決定し、北条氏は滅亡した。北条氏滅亡後、徳川家康に従って小田原攻めに参戦した大久保忠世が城主となり、城は近世城郭の姿に改修された。その後、大久保氏の改易にあたり、城は破却されたが、稲葉正勝の入城の際に再整備され、城の姿は一新された。貞享3年(1686)に再び大久保氏が城主となり、小田原城は東海道で箱根の関所を控えた関東地方の防御の要として幕末に至る。
南曲輪には関東大震災で滑り落ちた石垣が今もそのままになっている。
報徳二宮神社。明治27年(1894)4月、二宮尊徳翁の教えを慕う6カ国(伊勢、三河、遠江、駿河、甲斐、相模)の報徳社の総意により、翁を御祭神として、生誕地である小田原の、小田原城二の丸小峰曲輪の一角に神社が創建された。
1週間早ければ、満開の桜に浮かぶ天守閣が見られただろうに。残念!
小田原の名物はカマボコのよう。かまぼこ通りがあるので寄り道してみる。
ここが小田原かまぼこ発祥の店。
こちらも老舗のカマボコ屋さん。
早朝から魚屋さんが商売している。こういう移動魚屋さんは最近見掛けない。
小田原城から1kmほど東へ走ると江戸見附。早く進まねば雨に追いつかれるぞっと。
山王川に架かる山王橋からは、海岸沿いを東西に走る西湘バイパスと、その向こうに広がる太平洋が見える。
酒匂川に架かる酒匂橋を渡り小田原方向を望む。江戸時代には江戸の防衛のため橋は架けられていなかった。
小田原 酒匂川
小田原宿の東を流れる酒匂川の東岸から西の方角を望んでいる。高欄の付いた輦台に駕籠を載せて担ぐ人足たちや、供の者を輦台や肩車で渡す人足、対岸で順番を待つ一行や休憩している人足など、細かく描写されている。一面に広がる葦原の向こうに見えるのは小田原城の石垣と櫓で、その左側には小田原宿の町並みが見えている。背後にそそり立つ山並みは箱根山だろうが、実際はこれほど近くない。これは東海道随一の難所の箱根越えを表現してのことだろう。
現代は酒匂橋が架けられ、犬の散歩でも簡単に渡る事ができる。広重の画にあるように小田原城も小さく見える。奥に連なる箱根の峰々には今日は雲がかかり、その険しさがイマイチわからない。
松並木が残る旧街道を江戸に向けて東へ進む。