掛川から日坂宿、金谷宿 その2

一泊二日で東海道五拾三次の旅。今日は掛川から出発し日坂宿へやって来た。佐夜の中山公園から見た富士山が忘れられない。

佐夜の中山峠を過ぎ、お楽しみの下り坂。

下り坂は楽しいが、正面に見える山をまた登らなくてはならない予感がする。苦労して楽しい時間はあっという間、また次の苦労が待っている。なんて人生を語りながら下るの巻。

佐夜の中山を降りきる。最後は石段。

五十三次の正規の宿場には指定されなかった間の宿、菊川の集落。

菊川の由来は、付近の川から菊花紋の石が数多く出土されたから。中にキクの模様がある菊花石とは違う。

菊川の集落から牧ノ原へ向う菊川坂。この辺りは石畳がはがされ舗装されている。

菊川坂は平成13年に「石畳菊川坂助郷伝説」と銘打ち、町内外の方々の手によって山石が敷かれ、611メートルの石畳が復元された。

丸い石を敷き詰めている。

この辺りは江戸時代後期の石畳が残っている。

行き交う旅人を苦しめた「青ねば」というすべりやすい土質のため石畳が敷かれた。

蛇行した石畳が続く。けっこう急斜面。自転車を押しながら進む。

緩斜面は自転車に乗って進める。

きれいに復元整備された石畳。当時は側溝は無かったンだろうが。

けっこうデカめの丸石。急斜面では走りにくいので押して進む。

ほとんど押して登った菊川坂。実は近くに舗装された農道もある。

茶。

諏訪原城跡。天正元年(1573)武田勝頼が命じ築いた。建築物は残っていないが、堀・曲輪・馬出などの遺構がはっきりと残っている。

牧ノ原台地をいく東海道ウォーキングの集団。

東海道制定の頃、ぬかるむ山道に幕府は敷き石を並べることを命じ、多くの助郷によって、金谷宿から牧之原にいたる坂道に山石を並べた。

平成3年、町民ひとり一石運動を展開し、430mの石畳の道が復元された。

丸石の石畳は下り坂でも進みにくい。ゆっくりと下って行く。すべらず地蔵尊で掃除をしているおっちゃんに声を掛けられしばし雑談。

金谷坂の石畳を下り切ったところにある石畳茶屋。ランチやスイーツがいただける。

平成3年まではわずか30mほどを残し、すべてコンクリートで舗装してしまっていた。昔の人は偉くそして愚かなり。

金谷宿

上段:大日本帝国陸軍測図の地形図 明治22年測図 大正5年発行地形図  下段:Google Map 2017

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、金谷宿には本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠51軒、家屋数1,004軒があり、駿河国と遠江国とを分ける大井川西岸の川越えで栄えた。江戸日本橋まで、あと53里2町45間。

JR金谷駅に向って下って行く。

丸ポストも旧街道を行くと珍しくない存在。

この辺りの石垣に使っている丸い石は、石畳からはがした敷石を使っているのか。そんな気がする。

金谷宿の町並み。昔ながらな街並みは残っていない。やはり国鉄東海道線の駅が宿場町の近くに開通してしまうと、開発近代化され、そして昔ながらの風情は消え失せる。

金谷宿 柏屋本陣跡。

佐塚屋本陣跡。今は佐塚屋15代目、佐塚書店。

山田屋本陣跡。今はオオツカ眼鏡店。山田さんはどうしたの?

駿河湾も近づき、桜えびをあつかう魚屋も目に付いてきた。

大井川鉄道の新金谷駅。ここが憧れの大井川鉄道。SLかわね路は11時52分発。空席があり乗車できるが2時間待ちはさすがにキツい。

構内には旧型客車がたくさん留置されている。

転車台にはかわいいC12 164。

奥にはC10 8とC11 190、C10 8は出発の準備中。

トーマスカラーの客車たち。

駅の反対側にあるSL広場へ回ってみる。

矢羽根越しにE10 1とかわね路の展望客車。

石炭の燃えカスが山積み。SLを走らすのは大変だ。

SLは出発までの準備が大変だ。集煙された黒煙は高い煙突から吐き出される。

出発までまだ2時間前。石炭燃やして湯を沸かす。

金谷宿の東、大井川の渡し場跡。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」、と馬子唄で唄われた大井川は東海道最大の難所で、増水のため川留めになると、旅人は水が引くのを何日も待つ。

大井川にかかる静岡県道381号島田岡部線の大井川橋。元は国道1号線の大井川橋として完成。全長1,026mの17連トラス橋。江戸時代、大井川は駿河と遠江の国境であったため、幕府の防衛政策などにより架橋、通船が禁じられていた。

山の向こうに頭を出す富士山。明日の天気予報は雨。青空の下、早く全体を見たいと気が焦る。

金谷 大井川遠岸

歌川広重 東海道五拾三次 金谷 大井川遠岸 保永堂版

金谷宿をて大井川を渡るとすぐに島田宿だった。大井川は遠江と駿河を分ける国境で、徒行渡しが行われていた。遠景に見える丘陵地が国内最大の茶葉の栽培地である牧之原台地の北東縁にあたる。中腹に人家の屋根が見えるあたりが金谷坂。金谷宿の中心は台地の麓に位置するが、この画では霞に隠れている。一番奥にシルエットで画かれた高い山は、実際には存在しない。

金谷宿から大井川を渡り、島田宿側の川越えから金谷方向を望む。長大な大井川橋の向こうに牧之原台地が横たわり、奥には粟ヶ岳のヒノキで植林された茶の文字が見える。