豊橋から二川宿、白須賀宿、新居宿 その2

今日は青春18きっぷで豊橋に前日入りしたものの、自転車をパクられ途方に暮れた。自転車無ければ歩くしかない。という事で、豊橋の吉田宿から次の宿場である二川宿まで歩いてきた。すでに靴ずれで足の指が痛いし自転車無いしで良い事なしだったが、二川宿本陣資料館で機嫌が直ってきた。

二川宿本陣跡を後にし商家「駒屋」を目指す。

商家「駒屋」。

駒屋の主屋内部は見学できる。ソロバンや帳簿など小物も充実。

駒屋の主屋から裏手に続く建物。雰囲気がとてもよい。

駒屋の蔵カフェではドリンクやかき氷、ランチなど飲食できる。水やりしていたかわいらしいお姉さんと挨拶するが、足が痛くて話しをする気力が沸かなかった。

おだやかな旧街道。

旧街道にはアメ車が似合う。シボレーエルカミーノ。

JR東海道線を渡る頃には二川宿も終わる。

歩いている横を新幹線N700系がえらい勢いで追い越して行く。豊橋から東京まで最速1時間20分ほど。俺はあと何日かかるのだろう。はやく歌舞伎町で遊びたい。

一里山付近まで国道1号線を歩かなければならない。うんざりしてきた。バス停はあるけれど、平日1日1便、土日は運行されていない。

二川宿の歌川広重 東海道五拾三次の画は、二川宿から境川まで続く、このうんざりする道すがらにあった、猿ヶ馬場のかしわ餅の売られている茶屋だそう。似たような風景を探しながらひたすら歩く。あぁ足の指が痛い。

倉庫をかしわ餅屋に見立ててみる。いまいち。

荒地に何を植えているのか。どうやらキャベツ畑のよう。この付近は日本有数の野菜生産地で、特に紫蘇等「つまもの」生産は日本一。

ワンコイン弁当屋をかしわ餅屋に見立ててみる。どうだろう。

足の痛さとしんどさのあまり、花など愛でてみたりする。

一里山の一里塚。

雑貨屋をかしわ餅屋に見立ててみる。うーんイメージが沸かない。。

そうこうしているうちに、静岡県に入る。三河の国から遠江へ進む。この辺りを走る車のナンバーは、浜松、豊橋、岡崎と入り乱れている。

静岡県の旧街道マップ。現在はPDFをダウンロードできなくなった。残念! でも600円で売っている。

二川宿 猿ヶ馬場

歌川広重 東海道五拾三次 二川 猿ヶ馬場 保永堂版

三河の国の最も東ににある宿場二川宿よりもはるか東に猿ヶ馬場は位置する。三河と遠江の国境を流れる境川よりもさらに東にあるのでむしろ白須賀宿に画かれるべきかもしれない。東海道名所図会で猿ヶ馬場が二川宿の項目の末尾に描かれていたいたからだ。小松の生い茂る原山をゴゼが三人寄り添って歩いている。名物かしわ餅を売る茶店には旅人が立ち寄っている。

境川付近の田園と雑木林をモチーフにしてみた。かしわ餅を売る茶店も無いし人もいない。静岡県に少し踏み入れているが、昔は同じ吉田藩の領地なので気にしない。

ここから白須賀宿。とてもとても足の指が痛い。

白須賀宿

上段:今昔マップon the web 明治23年測図 明治25年発行地形図  下段:Google Map 2017

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、白須賀宿には、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠27軒、家屋613軒があった。江戸初期には海岸近くにあった宿場が宝永4年(1707年)の大地震と津波により被害を受け、翌年に潮見坂の上の高台にある今の場所に移された。江戸日本橋まで、あと70里22町45間。

白須賀宿の町並み。

白須賀宿の火防。白須賀宿は津波の難を恐れ、宝永五年(1708年)に潮見坂の下から坂の上に宿替えをしている。移転後は津波の心配はなくなったが冬場は西風が強くたびたび火災が発生し大火となることが多かった。火事をくい止めるために設けられたのが火防で、広さ間口二間(3.6m)奥行き四間半(8.2m)で常緑樹の槙が10本くらい植えられていた。

本陣跡。建坪百八十三坪、畳数二百三十一畳、板敷五十一畳とかなり立派な本陣だった。今は何も無い。ものすごく想像力が必要だ。

旧家の自転車屋さん。

曲尺手(かねんて)。直角に曲げられた道のことで、軍事的な役割を持つ。また、大名行列同士が道中かち合わないようにする役割もある。格式のの違う大名がすれ違う際は、格式の低い大名が駕籠から降りてあいさつするしきたりだが、主君を駕籠から降ろすことは共頭にとって大失態。そのため斥候を行列が見えない曲尺手の先に出し、行列がかち合いそうなら休憩を装い最寄の寺に緊急避難する。

やがて町並みは登り坂になってきた。

白須賀 汐見阪図

歌川広重 東海道五拾三次 白須賀 汐見阪図 保永堂版

潮見坂から望む遠州灘は東海道でも有数の絶景として知られていた。広重は坂道と両側の松の木を使ってこの眺めを強調するかのように仮面の中に楕円形の枠を作り出している。浜辺には人家や漁網が点在するのどかな漁村風景で海面には多くの漁船が浮かんでいる。大名行列は坂を下り参勤交代で江戸に向かっている。

白須賀小学校の前にある展望台は潮見坂の頂上で、ここからの眺めは視野いっぱいに大海原を見渡せる。

おんやど白須賀。資料館。受付のおっちゃんに「広重の画の場所は白須賀小学校前の展望台からの眺めなのですか?」と、尋ねる。もう少し先の潮見坂の途中だと教えてもらう。おっちゃんの子供の頃は、広重の画のような風景だったが、今は樹木が生い茂り視界が悪くなっているそうだ。

どんなもんじゃろと潮見坂を下って行く。カーブを曲がると視界が開けるはず。

潮見坂からの太平洋。なるほど、樹木の枝葉が生い茂っている。電線もジャマだな。

坂道を下る。新居宿側から来るとけっこうな登り坂だ。下り坂は足が靴の中で前のめりになり、一歩一歩足の指に激痛が走る。

竹やぶをぬけて行く。足の指を見るのが怖い。テーピングでは激痛を抑えられない。

坂の下の元宿。竹やぶは旧東海道のルートではなかったが激痛のため戻れない。

高架道路は国道1号線、潮見バイパス。津波が来ても大丈夫。でもこの辺りは水没地域。

遠江は風が強い。なので風力発電の風車もよく回る。遠くにあるのでおもちゃのようだが、巨大な羽をよく見るとエライ勢いで回っている。

東海道は少し高い山裾を行く。防風林の向こうは太平洋が広がっているはず。海岸まで行きたいが足が痛くて寄り道しない。