豊橋から二川宿、白須賀宿、新居宿 その1

京都三条大橋から江戸日本橋を東海道五拾三次で目指す旅。前回終了したのは愛知県豊橋市の吉田宿。自転車はJR豊橋駅前の駐輪場に預けっぱなしにしている。早く行かないと駐輪料金も気になるが、前回の帰りに買った青春18きっぷの有効期限も気になるところ。安く上げることを真念としているのにどちらも衝動的に動いてしまっている。という訳で前回からそう日にちも経たない土曜日を利用して東海道五拾三次自転車旅に出かけた。衝動的だが結果的には実行できるので、そういう制約は自分には必要なのかもしれない。

今日は前日の飲み会のビールとワインと日本酒がアセトアルデヒドとなって体中に残っている。久しぶりの二日酔い。午前中は頭痛とムカムカ、夕方近くにようやく気分が良くなってきた。今回は金曜の仕事明けに一旦自宅へ戻り、風呂と身支度を済ませ、夜のうちに豊橋まで行く。いわゆる「まえのり」。JR西日本の新快速とJR東海の新快速を米原で乗り継ぐ。通常のJR運賃は5,000円以上かかるのに、青春18きっぷだと1回2,370円、半額以下で行けてしまう。ああ、ありがたや。

途中、踏み切りで非常停止などあり大幅に遅れて深夜の豊橋に到着。でも二日酔い覚めやらぬ体には爆睡できて、ああ、ありがたや。

まずは預けている自転車を取りに駐輪場へ行く。月極め定期1ヶ月分ほどの料金を払い自転車とご対面。その後、豊橋駅前で遅めの晩メシを食う。豊橋名物の豊橋カレーうどんなるものを食べたかったが、夜遅過ぎのため閉店ガラガラ、毎度の事ながら「すき家」で牛丼に落ち着いた。

満腹満蔵、さあ今日のお泊りスポットは「サウナオーギ」か「ネットカフェ快活CLUB」か。でも家で風呂に入ったので「ネットカフェ快活CLUB」へ向いましょう。と、店の横の自転車を置いた場所に行くものの自転車が無い。ここじゃあなかったっけ? と、自問自答を繰り返すがやはり自転車は無い。

俺のチリンチリンがなーい・・・

パクられた? それとも撤去された? こんな夜中に撤去する? 鍵はかけた? かけてない?

だれか俺の自転車知りませんかー! と、心の中で叫ぶ。

呆然としながら、すき家の店員さんに聞くが、もちろん知らないとの返事。そりゃそうだ。

とりあえず眠たいので、ネットカフェ快活CLUBへむかう。歩いて向かう。知らない土地を真夜中に2kmほども歩く。虚しさと悲しさを引きずりながら知らない街を一人で歩く。悲しすぎる。自転車がないとこんなにも孤独を感じるものなのか。自転車乗りが自転車がないとこんなにも寂しいものなのか。生身で知らない土地を歩くこの無防備さがたまらなく恐ろしい。

などと言う間にネットカフェ快活CLUB新栄店へ到着。フルフラット席が満席なのでリクライニング席に通されるが、フルフラット席が途中で空いので移らせてもらった。サービスいいね、快活CLUB。自転車が無くなり辛くても悲しくてもすぐに爆睡できるところが自分のいいところ。翌朝6時には爽やかにネットカフェを後にする。深夜8時間パックで1,645円なり。いいね、快活CLUB。

自転車探しに早朝の住宅街を豊橋駅前まで歩く。きっとどこかにあるだろう。すき家に戻って来ているかもね。ひょっとしたら撤去車両として駅前保管場所にあるかもしれない。ああ、朝日が気持ちいい。今日もいい日になりそうだ。とカラ元気を爆発させる。

でも、すき家には無かった。駅前もうろうろしたが無かった。撤去車両保管場所に行ってみたが閉まっている。開くのは9時からだった。

撤去車両保管場所が開く9時までヒマなので豊橋観光をしよう。自転車があればポタリングになるが、徒歩だと観光者というか不審者という感じ。とりあえずADVAN全面広告の路面電車に乗ってみる。路面電車にはそこそこ乗客が乗っている。でも、おじいちゃんおばあちゃん女子高生ばっかりだ。

東八町まで路面電車で行く。運賃150円なり。東八町には東惣門という門があった。東海道にまたがって建てられていた。惣門は朝六ツ(午前6時)から夜四ツ(午後10時)まで開けられており、その時間以外は一般の通行は禁止されていた。今はモニュメント的な門が建っている。

東八町の東惣門跡からプラプラ歩いていると、けやき通り。豊橋公園の方向に向かってみる。パトカーがやたら多い。俺の自転車探してくれ。

豊橋ハリストス正教会。聖堂の名前は聖使徒福音記者マトフェイ聖堂。大正2年に建築された。内部見学は予約が要る。

安久美神戸明社。鬼祭りが有名らしい。

豊橋公園入り口にある旧日本軍の立ち番詰め所跡。豊橋公園でトイレ休憩、そして野郎だけの飲みの席でしか話せないハプニング発生!まだ飲み過ぎが響いている。

豊橋市公会堂。昭和6年建築の半球ドームと鷲がシンボルのロマネスク様式の建物。国指定登録文化財。チャリダーがうらやましいゾっと。

まるとん本舗あたり。俺の自転車ないかな?

松葉通りは夜に来ないと楽しくない。俺の自転車ないかな?

ときわ通り。昨夜は深夜でも賑わっていた。9時前の今はさすがにヒト気が少ない。俺の自転車ないかな?

撤去車両保管場所の開く9時まであと20分ほど。ミスドでモーニング。ミスドはやっぱりチョコファッション。

結局、撤去車両保管場所にも自転車は届いていなかった。ああ、パクられたことが確定してしまった。きっと在るだろうと思っていたのに、自転車で先に進めると思っていたのに。パクられたからには警察のお出まし。でも警察に届けようにも実は防犯登録をしていないし車体番号も分からない。なにせヤフオクでポチった4,000円のMERIDA君。でもなんじゃかんじゃお金が掛かっている。だんだん腹が立ってきた。自転車返せー!と地下の自転車保管場所で叫ぶ。心の中で。自転車保管場所のおっちゃん親切にありがとう。

さて、今日はどうする? 自転車が無いしもう帰ろうか? それとも青春18きっぷであこがれの飯田線にでも乗ろうか? 電車で次の宿場二川宿に行ってみようか? 自転車旅なのに電車はあかん、自転車無いなら歩いて行くか? 二川宿まで8kmほど、朝からすでに4km以上歩いているし、歩きついでで行ってみますか。

さっき豊橋駅前から路面電車に乗り東八町で降り、ぶらぶら歩いて駅前まで戻ってきた道を、再度旧東海道をトレースしつつ東八町まで歩く。

東八町から先の旧東海道は国道1号線に飲み込まれている。面白くも無い特徴の無いチェーン店の看板が目立つ地方の幹線道路といった道が続く。

殿田橋から旧東海道が現れる。そして緑が増えてきた。ここは岩屋緑地。今日はややキツめトレッキングシューズを履いてきてしまった。すでに足が痛い。足というか足の小指と親指が痛い。間違いなくクツズレる。

遠くに観覧車が見える。マップで見ると、どうやら豊橋総合動植物公園の大観覧車のよう。全長50m、直径48m。日本一の観覧車は、大阪の千里万博公園EXPOCITYに2016年にできたREDHORSE OSAKA WHEEL。高さ123m、すべてのゴンドラの床がシースルー。

二川宿

上段:今昔マップon the web 明治23年測図 明治26年発行地形図  下段:Google Map 2017

天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、二川宿には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠38軒、家数328軒、人口1,468人と小宿場だった。江戸日本橋まで、あと72里3町45間。

豊橋駅から1時間半ほどで二川駅到着。自転車だと30分くらいだろうか。汗だく&足の指痛すぎ。ココカラファインでテーピング購入。10本の指すべてにテーピングを巻いてみる。

二川宿へと進んで行く。旧家とフォルクスワーゲンの組み合わせがお洒落。

二川宿の民家やお店には、古い家も新しい家もそうでない家にも藍色の暖簾が掛けられてている。

氷が食べたい。テーピングしたけど足の指が痛い。

旧家のお宅。普通に生活されている。すばらしい。でも足の指が痛い。

笹麩もち、食べたい。足の指が痛い。

清川屋と書かれているが野口商店。

お昼寝ネコちゃん。

西駒屋、味噌溜。

二川宿本陣。東海道には草津宿とここ二川宿にしか本陣は残っていない。草津宿の本陣を訪れた時は早朝のため内部を見られなかった。と、言うことでガッツリと見学する。

文化四年(1807年)から明治三年(1870年)の本陣廃止まで本陣職を勤めた馬場家の建物。改修復原工事により主屋・玄関棟・書院棟・土蔵等を江戸時代の姿に復原し、大名や公家など貴人の宿舎であった建物を一般公開している。

本陣の表門をくぐると玄関までかなりある。

本陣玄関。21畳もある。ウチの家全体のほうが若干は広いかも。というレベル!

本陣主屋の板の間。外から荷物を直接運び入れる場所。

本陣主屋。部屋がたくさん、まぁ広い。

本陣書院棟の上段の間横にある湯殿。

こちらは本陣に隣接している旅籠屋「清明屋」。文化十四年(1817年)に建てられた庶民の宿。主屋、繋ぎの間、奥座敷で構成された旅籠屋建築の様式が残っている。旅人は到着するとここで足を洗い部屋へ案内される。

庶民はこのような部屋に泊まり食事をしていた。

二川宿本陣と隣接している資料館は展示物も多く見ごたえ十分、来て良かった。東海道や二川宿、本陣、大名行列や当時の旅人について分かりやすく知ることができた。自転車取られてなかったら、開館時間前に到着していて内部を見ることができなかっただろうな。と、プラスに考える事にする。