東海道五拾三次 思い立ち

歌川広重 東海道五拾三次 自転車の旅

歌川広重の浮世絵、東海道五十三次を現在の風景と重ねながら、京都三条大橋から東京日本橋を目指す自転車旅。

序章は、ある日突然に四国遍路に出掛けたくなる。四国での幼き頃の思い出への哀愁と、旨い酒旨い食い物、旅への期待と自転車に乗りたいとうい動機は、かなり不純な気がすし、信仰心もほとんど無いが、まずは弘法大師さんにご挨拶と思い立ち、旧西国街道で世界遺産東寺を目指した。

東寺に到着しこのまま帰るのももったいないので、京都を巡る事にした。

東寺を出発、あては特に無いが、西国街道の途中で買ったゆで卵を食べる場所を探しながら自転車を走らす。

東寺通りから猪熊通りを北に向かう。JRを越えるにはこの道が良さそうだからだ。七条通りにぶつかったので、堀川通りまで東に行く。堀川通りを北上し、西本願寺を外から参拝。

さらに北上し、五条通から油小路通りに移る。油小路通りを北上する。京都らしい町並みを期待したが、ルートチョイスが悪かったようだ。途中で買ったゆで卵を食べるため、休憩できる公園など物色しながら走るが、見当たらない。

油小路通りから東に進み、柳馬場通りから錦通りを越えて北上していく。

突然目の前に森のような広大な一角が現われた。地図で確認すると京都御苑だということが分かった。南北に1.3km、東西に700mも続いているようだ。入り口を見つけ自転車のまま進入する。江戸時代には140以上の宮家や公家の邸宅が立ち並ぶ町だったが、明治になって都が東京に移ると、これらの邸宅は取り除かれ公園として整備された。

京都御苑の中は砂利が敷き詰められており自転車では走りにくいが、閑院宮邸の近くにベンチを見つけた。ベンチに腰掛け、ゆで卵を食う。汗をたらふくかいたので塩味がうまい、たまごは固ゆで。希望としては半熟が良かった。口の中がぱさぱさになりながらも3個一気に食べてしまった。

京都御苑のだだっ広い砂利道のはるか先に、京都御所の健礼門が見える。京都御所は南北に450m、東西に250mの築地塀で囲まれた古来の内裏。現在のものは安政2年(1855年)の造営。健礼門の奥は瓦葺の屋根の承明門。その奥に見える檜皮葺の屋根が紫宸殿。紫宸殿は内裏の正殿で、天皇元服や立太子礼、譲国の儀、節会などの儀式が行われた殿舎。

京都御苑の深い砂利道はペダルが重くきつい。富小路休憩所を見つけて入ってみると喫茶食堂のようで、エアコンが効いていて超絶気持ちがいい。でも何も頼まないのに長居するのは気がとがめる。しばらく涼み引き上げる。

御苑を出て丸太町通りをさらに東に行くと鴨川に出た。しばし、きらきらと流れる川面を眺める。南に下るか北に上るか思案しながらも、橋のたもとから河原に降りられる通路を見つける。河原に下りると、川と並行して小さな水路が流れている。水路脇の細道を南下することにした。鴨川沿いの水路は京都の夏の風物詩である納涼床にかかる水路じゃないのか、などと考えながらしばらく走り、二条大橋の橋の下をくぐる。

さらに南下し御池大橋の橋の下をくぐると、まもなく三条大橋が見えてきた。

この辺りから納涼床の桟敷席が出ている。行ってみたいが、今は準備中のようだし、服が汗だくだし、一人では気が引けるな、などと一人で言い訳しながらいつか来てみようと思う。

古風なデザインの橋が見えてきた。ここは三条大橋。三条大橋と聞いて思い出すものといえば、さらし首の並んだ三条河原と、江戸日本橋から続く東海道五拾三次の終着地だな。

歌川広重の東海道五拾三次の浮世絵と同じ構図で、現在の宿場の写真を撮りながら東京(江戸)日本橋を目指す旅も楽しそうだ。京都から東京まで新幹線のぞみ最速2時間17分で行けるこのご時勢だが、自転車だと何日かかるか? とりあえず次の宿場の大津まで行ってみるかと思い立ち、なにげに出発する。

一気には無理なので何日かで目指そう。そして江戸に着いたら歌舞伎町で遊ぶんだ。