今昔マップ on the web

埼玉大学教育学部 人文地理学研究室の谷謙二先生が作成公開している「今昔マップon the web」では、明治以降の昔の地形図を、年代を切り替えながら現代の地形図と見比べられるすごい資料がある。1/20,000や1/25,000、1/50,000の地図を使用しており、詳細な部分まで見ることができる。現在は首都圏や京阪神、札幌、仙台、東北地方太平洋沿岸、中京圏、浜松豊橋、広島、福岡北九州、沖縄本島南部が閲覧できる。ぜひとも全国を網羅して頂きたいと願っている。

http://ktgis.net/kjmapw/

この地図のすごいところは、古い地図上の場所が現代のどこなのかが一目で分かる点だ。左右に新旧の地図がレイアウトされており、左の古い地図上にカーソルを合わすと右の現代の地図の同じ地点にもカーソルが現われる。左の古い地図をスクロールすると右の現代の地図もスクロールされる。昔の街道や建物、鉄道といった現代では無くなっていたり、姿を変え再利用されていたりするものに驚くような発見がある。現代では何げない普通の生活道路が古代からの街道であったり、川の流れが大幅に改修されていたり、埋め立てにより海岸線の場所が異なっていたり、池が埋め立てられ学校になっていたり、鉄道のルートや駅の場所が大きく変わっていたりと、眺めているだけでタイムスリップ感がハンパなく、ついついのめり込んでしまう。

京阪神圏編で大阪を見てみる。おおさかのメインストリート御堂筋、新御堂筋を南下していく。明治42年測図(西暦1909年)の地図なのでなんと108年前。当然、御堂筋、新御堂筋はまだ無い。

まずは新大阪駅周辺。昭和39年開業の新幹線は当然まだない。小さな集落が点在し当たり一面田んぼの様相だ。しかも東海道本線のルートは現在とは異なっている。大阪駅から淀川を渡った所で大きく東に曲がり、今の阪急京都線を京都方面へ進んで行く。この時代、今の阪急京都線が東海道線だった。

近年発展著しい梅田周辺。JR大阪駅の表記が「たほさか」。大阪の高級飲み屋街、北新地には川が流れ建物がまばらにしかない。大阪最後の一等地梅田コンテナヤード跡地にできたおしゃれな街グランフロント大阪は田んぼのようだ。阪急梅田駅はJR線を越えて阪急百貨店側にある。そういえば阪急百貨店の東側通路の吹き抜け具合は駅のコンコースのような雰囲気が残っている。

オフィス街の本町周辺。御堂筋も中央大通も無い。四ツ橋筋にはちん電が走っている。この付近は今も昔も商都大阪の中心地だ。

難波周辺。道頓堀沿いの宗右衛門町や千日前付近はこの時代も繁華街のようだ。

天王寺、阿倍野界隈。大正4年開業の天王寺動物園はまだ無い。この当時、畑や果樹園が目立つ阿倍野に高さ300mの日本一高いビルあべのハルカスが建ち、キューズモールやhoop等の再開発で一大繁華街となるとは思いも由らなかっただろう。飛田新地も田んぼのようだ。

続いて、城好きとしては大阪城

この時代、大阪城周辺は軍事施設が建ち込んでいる。これらの軍事施設が戦後官庁街となったようだ。大阪城本丸には星印が付いている。第4師団司令部が昭和6年の天守閣再建まで置かれていた。

大阪の北部、北摂地区を代表する万博公園。1970年に開催された日本万国博覧会EXPO'70の会場。明治時代は千里丘陵の山の中だった。万博開催とともに千里ニュータウンが開発され、現在、北摂丘陵の山々はほぼすべて住宅地として開発され尽くした。

言わずと知れたユニバ、USJ、ユニバーサルスタジオジャパン。すでにこの時代には埋め立てされ鉄道が走っていた。ここにアメリカハリウッドがやってきて日本で一番楽しい空間ができるとは当時の人は想像すらできなかっただろう。路線名は西成線。駅名は「てんぱうざん」、安治川の向こう岸の天保山となっている。

我が地元、伊丹。南北朝時代に伊丹氏により築城した伊丹城は、荒木村重により有岡城と改称される。江戸時代には廃城となるが、日本酒発祥の地として発展する。西国街道と有馬道が交差し旧街道が多く残っている。伊丹郷町の町域がよく分かる。鉄道の路線名は阪鶴線。阪急伊丹線はまだ開通していない。

この「今昔マップon the web」を元に、旧街道や古くからの道をポタリングする。