宝塚 巡礼街道 その1

埼玉大学教育学部 人文地理学研究室の谷謙二先生が作成公開している「今昔マップon the web」を眺めていると、箕面有馬電気鉄道、今の阪急宝塚線の川西能勢口駅から宝塚駅付近の長尾連山の麓の街道に巡礼街道という文字が目に入った。奈良時代に徳道上人が作ったとか、平安時代に花山法皇が作ったとの伝承のある西国三十三所観音霊場巡りの道筋のようだ。西国三十三所23番勝尾寺から24番中山寺を経て25番播州清水寺に続く街道だが、阪急の駅名にあるとおりこの付近には社寺が多いように思う。今も昔の面影を残していることを期待し土曜の午前中ふらっと出掛けた。

時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」より 明治42年

Googlemap 2018より

今日のスタートはJR川西池田駅に設定。駅前付近の巡礼街道は国道176号線や東洋食品工業短大などで立ち消えているようなので阪急宝塚線側を行くことにした。JR川西池田駅から阪急川西能勢口駅に続くスラロームのような通りは能勢電車の廃線跡とみた。

阪急宝塚線沿いに急坂を見つけチャレンジ。立ち漕ぎまでは必要なく登れた。

坂の上に栄根寺廃寺跡。江戸時代に再興した薬師堂が阪神淡路大震災前まで存在していたが震災で倒壊し、今は石碑と須弥壇が残っているのみ。

栄根寺廃寺跡の裏手にナイチンゲール像がひっそりと建っている。像の原型はロンドンに建っている女史の像で世界に二基という珍しいもの。岡山の宗教家 中山通幽氏が1936年に建立されたそうだ。

雲雀丘花屋敷駅手前のカーブで阪急電車を撮影。まずは昭和51年デビューの6000系第一編成。

昭和63年デビューの8000系。阪急創立80周年記念として正面デザインを一新した車両。

昭和46年デビューの5100系。阪急初の本格的冷房搭載車両として製造された。

雲雀丘花屋敷駅近くに建つ旧安田邸。20世紀初頭の北米中産階級の郊外住宅の様式を取り入れて、素人建築家と和風大工が作った建物。

雲雀丘の住宅街を走り、一旦阪急を踏み切りで北側に渡る。線路沿いの細道を進んで行くと巡礼街道に合流する。再び踏み切りを越え線路の北側を進むと阪急山本駅。

阪急山本駅の西側を流れる最明寺川に掛かる山本橋の先には木接太夫彰徳碑がある。木接太夫彰徳碑は接ぎ木という、園芸史上画期的な技術開発を実用化した坂上善太夫の彰徳碑。その一角に標石と巡礼街道の案内板がある。

最明寺川の支流中川沿いを行くと、川を覆い尽くす朝顔?が満開。

最明寺川を上流に登って行くと霊験あらたかという言葉がぴったりな最明寺滝という滝がある。写真は奥さんと下の娘とウォーキングに行ったときのもの。最明寺滝までの道中も岩場ありで秘境感は十分味わえる。

中川に掛かるギボシの付いた小橋があり、その先にこんもりとした松尾神社の森が見える。昔の地図を見ると完全に山の中の神社だが、現代は住宅地の中の神社の森といった印象。

松尾神社の先、正念寺、朱色の鳥居の稲荷大明神、天満神社と矢継ぎ早に社寺が続く。全国に神社は8万8千社あまり、お寺は7万7千寺あまりある。コンビニの5万6千軒よりも断然多くこの付近も統計どおりと実感する。

稲荷大明神

天満神社

天神川に掛かる天神橋でおばさんの運転する車に轢かれそうになりながらも先に進む。

石段に朱色の鳥居がトンネルのように並ぶ有高稲荷大明神を目の前にし、宝塚で京都の伏見稲荷のような雰囲気を感じられるとは思って居なかった。石段が続く鳥居のトンネルを200mほど登ると小じんまりとした社がある。その昔は山の中の参道だっただろうが今は片側は家が建ち並んでいる。

この先、線路向こうに池が見え阪急中山観音駅に着く。以前は中山駅だったが2013年に中山観音駅に名称変更されている。阪急中山観音駅から中山寺までほんの100mほど。ちなみにJR中山寺駅から中山寺へは徒歩10分くらい掛かる。