泊りでへんろ お鶴太龍 再挑戦 その4

阿波三大遍路ころがしのお鶴太龍を打ち進み、平等寺から薬王寺を目指し、絶景の海が見たくて海岸線を進んできた。海岸線はフラットな道かと思いきやアップダウンが続く道。しかし絶景が疲れを癒してくれる超お勧めのルート。日ごろのストレスからも開放される。

えびす洞。海水の浸食により掘られた海蝕洞。洞まで降りて行けるが時間が無いのでやめておく。

白い灯台という巨岩の上に建つ水色のホテルから日和佐城や大浜海岸が眼下に一望できる。

巨石をしばし眺める。

恋人岬から大浜海岸を眺める。別れを惜しむ恋人たちが沖に消えて行く汽船に手を振ったといわれる高台。

大浜海岸には毎年産卵のためウミガメがやってくる。

大浜海岸の目の前にある、うみがめ博物館カレッタ。亀専門の博物館は日本でここにしかない。うみがめを見たかったが時間が無いので寄らなかった。

厄除け橋の欄干には海がめのオブジェ。遠くに薬王寺が見える。

さくらまち通りを進むと薬王寺が見えてきた。JRのガード下にはトリックアートで3Dの仁王が画かれている。

第二十三番札所 医王山 無量寿院 薬王寺

縁起によると、聖武天皇(在位724〜749年)の勅願によって行基菩薩が開創したとされている。弘仁6年(815年)弘法大師が42歳のとき自分と衆生の厄除けを祈願して一刀三礼し、厄除薬師如来坐像を彫造して本尊とされ厄除けの根本祈願寺とした。大師はこの厄除け本尊の功徳を平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇の3代に相次いで奏上したところ、各天皇は厚く帰依し厄除けの勅使を下して官寺とされている。

文治四年(1188年)火災で諸堂を焼失しているが、このとき厄除け本尊は光を放ちながら飛び去り奥の院・玉厨子山に自ら避難した。のちに嵯峨天皇が伽藍を再建して新しい薬師如来像を開眼供養すると、避難していた本尊が再び光を放って戻り、後ろ向きに厨子に入られたと伝えられる。以来「後ろ向き薬師」として秘仏にされている。

薬王寺の山門に到着。山門の横に薬師会館という温泉宿坊がある。薬王寺温泉は含硫黄ナトリウム塩化物冷鉱泉。

厄除けの寺院としては全国的に有名で、「やくよけばし」を渡って本堂に向かう最初の石段は、「女厄坂」といわれる33段、続く急勾配の石段「男厄坂」が42段で、さらに本堂から「瑜祇塔」までは男女の「還暦厄坂」と呼ばれる61段からなっている。各石段の下には『薬師本願経』の経文が書かれた小石が埋め込まれており、参拝者は1段ごとにお賽銭をあげながら登る光景が見られる。

女厄坂と男厄坂の石段を登り、本堂をお参りする。

瑜祇塔。

卍マークと王マーク。カッコよろしい。

ご朱印を頂き、医王山 無量寿院 薬王寺をゲット。

高台となっている薬王寺の境内からは日和佐の町が一望できる。右の山頂には日和佐城も望める。

室町時代から戦国時代にかけて日和佐肥前守が土佐長宗我部氏の阿波侵入を防ぐため築いたようだが史料が乏しく不明な点が多い。立派なこの天守閣は昭和53年に野外活動施設として建てられた。天正十三年(1585年)には廃城となっており当時の遺構はほとんど残っていない。ということで日和佐城には登らない。

日和佐で海鮮丼を食べるんだと思ってここまで昼食をガマンしてきたが、時間が無いのでセルフうどん店に吸い込まれる。

中うどんメンチカツのせ。サクサクフライにおツユがしみ込んで半サクで食うのが旨かったりする。(個人的意見)

道の駅日和佐はけっこうな人で賑わっている。

重装備自転車を発見。これで坂道はきつかろう。話しをしてみたく、道の駅の中でそれらしい人を探してみるが見つからなかった。

足湯もある。ちびっこはジャブジャブと大喜び。

薬王寺のある日和佐の町を後に今日は甲浦まで辿り着きたい。甲浦まで行けば徳島県を制覇でき高知県に足を踏み入れることになる。甲浦駅は徳島駅から伸びる鉄道の最南端の駅。阿佐海岸鉄道とJR阿波室戸シーサイドライン(JR牟岐線)を乗り継げば徳島駅まで輪行で戻れる。次回の区切り打ちも甲浦から奈半利まで走れば行き帰りの輪行に都合が良さそうだ。高速バスでの輪行ができなくなった今、鉄道での輪行が自転車旅の味方。

日和佐の町からは山の中を行く峠越えの道が続く。

現代の道の峠にはだいたいトンネルが掘られている。昔はトンネルなどなく更に山の頂上までクネクネと登っていた。

日和佐トンネルを抜けると下り坂。自転車は登り坂は大変だが下り坂は楽チン。歩き遍路は登りも下りも大変だ。

阿波尾鶏のレストランodori。けっこうお客で賑わっている人気店。

国道55号線は下り坂と思うとまた上り坂。路肩にグリーンラインなるものがあり、歩き遍路への思いやり運転を呼びかける目的のものだが、車はバンバン走り去っていく。世界遺産を目指すのなら、このような消え去ったへんろ道での歩行者を優先とする整備が必要だ。

小松大師

由来によれば、およそ370年ぐらい前、大阪なんばの里に住む石工が来客から注文を受けた「三尺あまりの弘法大師坐像石佛」を刻んで引渡しを待っていたところ、夢枕に立った弘法大師さまから再三にわたり「石佛を阿州小松の里に送るように」霊告を受けこの地に送り届けた佛像であり霊験あらたかという。

薬王寺から次の札所 最御崎寺までは77kmも離れている。最御崎寺のある室戸岬までお遍路さんはひたすら歩き走り続けるかというとそうでもなく、所々に弘法大師のゆかりの霊場がある。ここ小松大師もそのひとつ。

女子遍路、何を思いて歩くのか。

まぁ山の中だ。

まぁ田舎だ。

牟岐の町に到着。田舎の割には便利な店などはちゃんとある。そして牟岐の駅前通りは堂々の6車線道路。でも全長は100m程しかないけれど。牟岐の町を抜けると、いよいよこの先は楽しみにしていた「八坂八浜」という室戸阿南海岸国定公園の景勝地。牟岐町内妻の浜から海陽町三浦の浜まで美しい海岸線が続く。白砂青松の入り江と岬の坂が交互に現れ、紺碧の海に栄える絶景らしい。今日は天気もよいし期待大なり。

牟岐駅前でドリンクを買おうとストップ。なにげに時計を見た。乗り継ぎの時刻表を確認すると、牟岐駅をあと15分後に出発する列車に乗らなければ今日中に自宅に帰ることができないことが判明する。なにせ貧乏旅、普通列車しかチョイスしない。もう1泊して更に先を目指そうかと考えるも一瞬の判断で帰ることにした。必死のパッチで自転車をバラし輪行バックに詰め込む。間に合わなければもう1泊、どこに泊ろうか。

10分ほどで自転車を袋詰め。何とか間に合い、汽車のデッキに自転車を固定。「八坂八浜」を走り甲浦まで行けなかった事を悔やみながらも徳島駅まで2時間の鉄道の旅。

由岐駅で対向列車との行き違いのため10分ほど停まる。その間に改札を一旦抜け、ビールとおつまみをゲット。駅は無人駅だが観光物産所が併設されていて買い物ができる。無人駅なので乗り降り自由な感じ。

つまみを食いビールを飲みながらの鉄道旅。いつの間にかうたた寝してしまい、気が付けば終点徳島駅だった。徳島駅から南海フェリー乗り場まで自転車で20分くらいなモンだろうが、自転車を組み立てるのが面倒だし飲酒運転なので、路線バスで南海フェリー乗り場まで移動する。

南海フェリーの乗船時刻までの間も待合所でさらに缶ビールをあおる。「すきっぷ2000」でフェリーに乗ると、ゴロ寝エリアを陣取り速攻で爆睡する。タオルを顔に掛け、2時間の船旅の記憶は何も無い。和歌山からは南海電車とJRを乗り継ぎ重い自転車を担ぎながらも無事帰宅した。

次回は牟岐から後免あたりまで、土佐の国(高知県)へと突入する。はたして、いつ行ける事やら。そしていつ結願するのやら。