四國徧禮道指南でへんろ いよいよ伊予路は山ばっか その3

今日は「四國徧禮道指南」という江戸時代のお遍路ガイドブックを参考にして、宿毛からへんろ道を進んできたが、ついに柏坂峠の入口でクモとクモの巣に心を折られ、やむなく国道56号線を進んでいる。

津島町(今は宇和島市)の「嵐」という漁港の町。コンビニも嵐!うちの奥さんはジャニーズの嵐の大ファン。いや違うな、嵐の大野くんの大ファン。サトシックっていうらしい。

バス停も嵐!  嵐はもうすぐ活動休止らしい。

郵便局も嵐! 嵐の大野君は釣りや絵の他にキャンプに目覚めたらしい。

嵐の集落を過ぎ、「ジキソーソー♪ジキソーウー♪」と口ずさみながら嵐坂を登って行くと、とっても繁盛しているうどん屋さんを発見っ!うどん食いてぇ~ カレーうどんもいいなぁ~ でもさっきコロッケとてんぷら串とおにぎりとソフトクリーム食ったばかり、腹は減ってないンだなぁ~残念。

坂を登り切ると嵐坂トンネルがある。ここのトンネルも歩行者専用のトンネルがあり安心安全に通り抜けられる。まったく楽しくはないが・・・

トンネル内は涼しくて快適、「わっ」とか「あ~」とか言ってしまうのはしょうがない。

嵐坂トンネルを抜け、下り坂を降りきった大門バス停付近で、柏坂峠を越えてきた遍路道と合流する。キモいクモとクモの巣に心を折られず遍路道を進んでいたら、どんなドラマがあっただろうか。ちょっとだけ雰囲気を味わうために遍路道を峠に向かって逆送してみる。この辺りの地名は上畑地といい、「四國徧禮道指南」に記されている「かみはたち」はこの辺り。途中で出会ったおばあちゃんに挨拶される。見知らぬ人にも挨拶できる、そんな人になりたい。

遍路道沿いに建つ赤松本家酒造。清酒泰山は、さわやかで香り良く、喉ごしに優れた酒だそう。飲んでみたいが人がいない。

国道は進まず、芳原川のほとりをのんびり自転車を漕いでゆく。なごむ風景に心が落ち着く。この辺りの地名は下畑地といい、「四國徧禮道指南」に記されている「しもはたち」はこの辺りだろうか。

芳原川にかかる金剛橋を渡り旧道へ入りたかったが、うっかり国道を進んでしまった。田園広がる山すそに密集する集落が「四國徧禮道指南」に記されている「はうわら」だろうか。「四國徧禮道指南」には「はうわら あみた堂あり 宿かす」と記されていて、芳原はお遍路さんに理解を示す集落だったんだろうな。

南に伸びてきた高速道路の終点、津島若松インターを過ぎ、芳原川が岩松川と合流する津島大橋から岩松の町並みを眺める。湾曲した岩松川に沿って建ち並ぶ家々の風景が、映画の一場面のようで気に入った。

「へんろみち保存協力会」の地図では岩松からも国道56号線を進み、松尾トンネルの手前から松尾峠遍路道を歩くことを推奨している。松尾峠遍路道は全長3.7km、峠まで1.7km標高差180mの緩やかな道で、途中に採石場の中を通過する場面もあるが自然を満喫できる道のようだ。

でも、「四國徧禮道指南」には岩松から満願寺へ至り、その先は野井坂を越えて行くように記されている。なので今日は「四國徧禮道指南」に従おう。「四國徧禮道指南」に記されている「いはまつ」はこの辺りだろう。

岩松の町並みにはシブい家屋が点在していてノスタルジックな気分になる。

人が全然いない。のんびりとレトロな町並みを眺めながら自転車を進めていく。

岩松から岩渕を通り、満願寺に到着。「四國徧禮道指南」には「いはぶち満願寺」と記され、さらに「此寺八十八ヶの中にあらすといへとも 大師草創の梵宮にて そのかみは大がらんなりしがはゑとし久しくつくるになんなんとす 今出す霊場記 此道しるへ両通の料物をあつめ 彼寺をしゆりせん事 眞念念願」とある。現代文に訳すと、「この寺は八十八ヶ所の中には入っていないが、弘法大師が創建された由緒あるお寺で、前の時代には大伽藍の大寺院だったが、栄えていた年は久しく過去になり、まさに廃れようとしている。今出版中の四國徧禮霊場記と、この四國徧禮道指南の二つの出版による利益を集めて、この寺を修理する事が眞念の念願となっている。」と書かれている。

眞念さんの資金により復興できたかどうかはよく分からないが、1769年の宇和島藩の御触書により、中道をお遍路が通行することを厳しく禁じていて、ここ満願寺のある岩淵村を通ることも禁じられたため、寺の運営は大変であっただろう。

境内には本堂のほかに太子堂も建立されているが、参拝者もお坊さんも誰もいない。

満願寺から清満橋を渡り、岩松川沿いの道を上流へ少し進む。

岩松川の支流の野井川に沿って高度を上げていくと、野井という集落がある。「四國徧禮道指南」に記されている「のゐ村」はこの辺りだろう。さらに「のゐ村観音堂有 此村伊左衛門 延寶年中七とせの間遍路に足半をほどこし 志ふかき人宿かす」と記されている。川で遊んでいる子供たちは、伊左衛門さんや志が深い村人の子孫だろうか? などという思いにフケながらしばらく眺めていた。

「四國徧禮道指南」に「のいのさか」と記された野井坂へと高度を上げていく。

途中、へんろ道へ入る場所を見落としてしまった。しゃあなし林道を登って行く。林道は舗装されていて走りやすい。

マップを見ると、今いる場所の真下に国道と高速道路が通っている。そんなことは微塵も感じないほど静かで自然を満喫できる。

やがて野井坂の頂上へと辿り着いた。標高は200mほど、林道を来たので快適なヒルクライムだった。

ご褒美の下り坂! ガンガンにスピードを出し、ダウンヒルを楽しむ!

崖の下に採石場が見える。松尾峠遍路道を行くと、この採石場の中を通らねばならんようだ。

楽しかった下り坂が終わり、来村川沿いの祝森という集落を走る。「四國徧禮道指南」に記されている「いわゐのもり村」はこの辺りだろう。

国道56号線に合流すると辺りはチェーン店の看板だらけとなり、走っていても面白くもなんともない。「四國徧禮道指南」に記されている「ひえ田」はこの辺りだろうか、今は保田という地名になっている。

寄松のインターを過ぎて、日本のちょっと田舎はこんな風景ですよ、というような風景の国道筋を走る。「四國徧禮道指南」に記されている「よりまつ村」はこの辺りだろう。宇和島城下まで松並木の良い道だったと記されている。

国道を逸れて下町を行くと、いい雰囲気の街道に生活観あるお店が建ち並ぶ。アワビにサザエ、ナマコに伊勢エビ、今日の晩御飯は海鮮に決定。

馬目木大師。境内には立派な銀杏の木がそびえ、銀杏の実が辺り一面に落ちていてウ○コ臭い香りがすさまじい。実を踏まないように社へ近づこうとしたが無理っぽいのでやめた。「四國徧禮道指南」には「城下町の入口に願成寺又はもといぎともいふ由緒有寺なり」と記されているが、現在、願成寺は宇和島駅近くの龍光院と合わせ祀られている。

天赦園(てんしゃえん)。宇和島藩七代藩主の伊達宗紀が隠居の場所として建造した庭園。入場料500円なのでスルーする。

宇和島東高校の隣にある公園から現存天守が残る宇和島城を望む。が、いまいち天主の眺望がよろしくない。どこかに天主を望める場所はないかと徘徊してみる。

サンシャイン宇和島というスーパーの4階屋上駐車場に登ってみた。城山に木が生い茂りすぎていて、天主の全体像が見えない。せっかくの貴重な現存天主なので、見せ方を一考し、姫路城を見習って本丸付近の木を伐採した方が良いなぁ、などと思う。

宇和島城 上り立ち門。城山南側の搦手道口に位置する上り立ち門は、慶長期に創建された最古で最大級の薬医門形式の建造物。かつてはここ搦手道口から天守に至るまでに7つの門があったが現在残っているのはこの上り立ち門だけ。でもココからは登城しない。

城山を半周し西側にある三の丸跡に来た。石垣の手前には宇和島城下で唯一現存する桑折氏武家長屋門が建っている。この付近に当時は御殿が建っていたが、今はハコスカが停まっている。以前来た時はジャパンも停まっていたっけ。観光施設も新しくできているな。でも、今日はもうしんどいので宇和島城には登らないというなんてもったいない贅沢を味わう。

宇和島城を登城しない代わりといっちゃあなんだが、四十番奥之院 龍光院をお参りする。龍光院は元和元年(1615)に、宇和島藩初代藩主 伊達秀宗が宇和島城の鬼門に当たるこの地に鎮めとして建立したお寺。弘法大師が建立した願成寺と合わせ祀られたため、現在は龍光院が四国八十八ヶ所霊場開創発願の寺として弘法大師ゆかりのお寺となっている。「四國徧禮道指南」に「城下町の入口に願成寺又はもといぎともいふ由緒有寺なり」と記されているのはこのお寺ということになるそうだ。

あぁ腹が減った!自転車はガソリンも電気もいらないが、とにかく腹が減る。街中には宇和島名物の鯛めしを食わせるお店がたくさんある。すっかり鯛めしの口になった。

メシの前に髪の毛に絡まったクモの巣をスッキリとしておきたい。宇和島市内には昭和の香りの残る銭湯が3軒がんばっている。大黒湯、松乃湯そしてココ、つるの湯。宇和島駅のすぐそばにあるつるの湯で汗を流し、鯛めしに備えるのだ。

風呂でさっぱりした後は、もう自転車には乗りたくないという賢者モードに入る。なので、宇和島駅の駐輪場に自転車を停めておこうと、駅の周りをウロツき探すが駐輪場が無い。なんで? なんでなの? なんで駅に駐輪場がないの? と思い、駅前交番のお巡りさんに聞くと、少し離れた南側の通りに無料駐輪場があると教えてくれた。

自転車を駐輪場に停めたものの、繁華街のお店まで歩くのはメンドウになったので、手っ取り早く駅ビルのレストランに入る。そして、きました!鯛めし(宇和島風)。宇和島の鯛めしは、藤原純友の日振島を拠点としていた伊予水軍が考えたといわれる漁師めし。宇和島近海で獲れた真鯛の刺身を、卵と出汁、醤油を混ぜたタレにつけてご飯にのせて食べる丼料理。愛媛県にはこの宇和島鯛めしの他に松山鯛めしがあり、そちらは鯛の炊き込みご飯。

新鮮な真鯛のプリップリとした食感と、卵だしのまろやかな味付けと鯛の旨みが絡み合い、食欲を一気に爆発させられる!

モリモリと鯛めしを食べながら、これからの事を考える。

1案、宿毛行きのバスに乗り、宿毛駅前の駐車場に停めている車まで戻り、車で宇和島まで戻ってきて車中泊するという案。費用はバス代1,850円+ガソリン代。

2案、宇和島に宿泊するという案。宇和島にはビジネスホテルも旅館も民宿も選び放題なほどあるだろう。費用はビジネスホテルだと6,000円くらい、民宿素泊まりだと4,000円くらいだろう。

3案、少しばかり自転車で先に進み、遍路小屋か公園の東屋なんかで野宿するという案。費用は掛からないがアテはない。

う~ん、他にいい案はないかいな? そういえば、宇和島の少し先の宇和町(今は西予市)に学生時代の友人が住んでいたっけ、15年くらい合っていないが電話番号入っていたっけかな? スマホを見るとあったあった。さっそく連絡をしてみると、懐かしい声でぜひ泊まりに来いという嬉しいお誘いをもらった。という事で、バスで宿毛まで戻り、車で宇和町卯之町に行くことにした。今、鯛めしを食べている駅ビルのレストランから宿毛行きのバス停までは目と鼻の先なので、発車時刻のギリギリまで居座っていよう。発車の5分ほど前にかわいいお姉さんに会計を済ませ、バス停に向かって歩いているとちょうどバスがやってきた。乗客は部活帰りの高校生や帰宅の会社員、買い物帰りのおばちゃんなど。満席まではいかないのでギリギリでも座ることができた。宇和島市内のバスセンターや病院前、高校前など経由しながら更に乗客を乗せ、やがて山あいへと進んで行く。松尾トンネルを抜けると津島、嵐、柏と今日進んできたルートを逆回転して行く。観自在寺を過ぎ、城辺営業所で運転手さんが交代する。この先バスは国道筋を進むので、今日自転車で走った思い出にひたるのはオシマイ。

バスに2時間ほどゆられ、宿毛駅にほぼ定刻通り到着した。宿毛駅前の無料駐車場に停めていた車に乗り込み、再び宇和島駅を目指す。夜の国道はそこそこ交通量はあるが、皆さん法定速度を超えて走っている。1日掛けて自転車で宇和島まで進んだが、車だと1時間ほどで到着する。宇和島駅近くの駐輪場に寄り自転車を回収した後、友人宅のある宇和町(今は西予市)へ車を走らす。無料の高速道路があるので20分ほどで到着。22時を過ぎているが歓迎してくれた。久しぶりの対面で、懐かしさと温かい友情と、お互いの老化を感じる晩となった。

昨夜は、思い出話と近況報告、そしてゲスい話をウダウダと午前2時過ぎまでしゃべり合っていた。朝5時に目覚ましをセットしていたが、一発で起きられるわけがない。今日は夕方まで車を預かってもらえるので、布団の中にいる友人に、また後でと一旦別れを告げ、寝不足で友人宅を出発したのは7時をとっくに過ぎていた。

友人宅の近所に、宇和米博物館という旧宇和町小学校の木造校舎を移転した、米どころ宇和を紹介する施設があるので寄ってみよう。

109mという日本一長い木造建築の廊下があり、ぞうきんがけをすることができる。でも開館は9時なのでまだ入ることができない。

ぞうきんがけレースとっても楽しそう! 画像はEhime Prefectureより 卯之町は、伝統的な建築様式が残る町並みが残されていて、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。今日の夕方、戻ってきた時に友人に案内してもらおう。

宇和町(今は西予市)のメイン駅、卯之町駅でドリンクを調達。「四國徧禮道指南」には「うの町 調物よし」と記されているように、そこそこ町っぽい。まずは卯之町駅から宇和島駅までJRで輪行し、41番龍光寺、42番仏木寺、43番明石寺を打ち、再び卯之町へ戻ってくるという算段だ。輪行するため自転車を袋詰めしようとした矢先に、宇和島行きの特急宇和海3号が到着した。どうがんばっても袋詰めが間に合わねぇ!あきらめて時刻表を見ると次の宇和島行きはなんと48分後、そんなにも待ってられねぇって事で、後先考えず大洲方面へ向けて自転車を漕ぎ始めた。41番龍光寺、42番仏木寺、43番明石寺はどうするのっていう気持ちと、先に進んでしまえっていう気持ちが頭の中で交錯する。

国道は走らず、旧街道を行く。

松葉城跡への上り口があるが、踏み入らない。室町時代に宇和郡を支配していた戦国大名の西園寺氏の居城跡で、主郭や土塁・井戸など、いくつかの城跡が残っている。

「お」って、何だろう? 地名は下松葉、「四國徧禮道指南」に記されている「しまつば村」はこの辺りだろうか。