野宿でへんろ 足をズリズリ足摺遍路道 その1

前回のお遍路自転車旅は、諸事情により予定通りとはいかず、目標の土佐の国 高知県制覇は成し遂げられず、中村(四万十市)で中断している。ここ数ヶ月、莫大な量の仕事に追われ連日深夜まで残業に次ぐ残業、土日も仕事をしてほとんど休みが無く、いわれの無いパワハラまがいの重圧を受け、身も心もクタクタになっている。さらには、なんだか穏やかでない家庭事情になってきて、羽目をはずして遊ぶ気にもなれず、心の余裕が無くなり不満とイライラをぶつける相手も見つからない。身も心も頑丈だけが取柄だったが、心は乱れ体も不調な兆候が出始めた。

サラリーマンは働き方改革により有給休暇を消化しなければならない。総務部からは消化しろとせっつかれるが、休みたくても仕事が溢れて休めない。そんな中、なかば逃げ出すように金曜日を有休とし土日も休んで三連休にする。逃げ出したい、心の拠りどころを探したい、そんな思いだった。こんなに思い詰めたのは人生で初めてだ。今までは嫌なことがあっても2~3日もすれば気がまぎれてケロッとしていたが、今回は重症な気がする。これじゃあダメだってことで、なんとか時間を作り心の解放を計りたい、すがるような思いで、夏の終わりに自転車お遍路旅へと再出発した。

今回は、四国の左下、高知県南西部を巡る旅。計画としては中村(今は四万十市)から足摺岬に建つ金剛福寺へ、そして土佐清水から月山神社を参拝し大月から宿毛を経て延光寺へ、そして宿毛から松尾峠を越えると高知(土佐の国)を打ち終え、いよいよ愛媛(伊予の国)へ突入し、御荘(今は愛南町)にある観自在寺の3箇寺を巡り、宇和島まで進もうと思っている。帰りは宇和島からバスとくろしお鉄道を乗り継ぐか、予土線経由のどちらかで中村まで戻ろう。

夏の終わりの木曜日、思い切って有給休暇を出し仕事を19時で切り上げた。自分には珍しく自転車や着替えや持ち物は事前に少しずつ準備をして車に積んでいたので、自宅には戻らず、職場からそのまま車で高速道路をひた走る。今日もすでに仕事でクタクタで、心は常に何かに怯え動悸がしている。流れゆく白いセンターラインと、前を走るトラックの赤いテールライトをぼーっと見つめ、嫌なことばかりを考えながら中国道、山陽道、瀬戸中央道をノンストップで走る。だめだ、気が晴れない。せっかく心の解放を求めて出かけているのに、と、心が叫びため息をつく。ひとまず瀬戸大橋の中間にある与島サービスエリアで休憩しよう。

21時過ぎの瀬戸大橋。満月の月明かりに照らされた巨大な橋を見て、ちっぽけな自分の悩みなんて大したモンじゃあないなぁ、と一瞬嫌なことを忘れる。

瀬戸中央道から四国に入ると、高松道そして高知道へと高速道路を乗り継いでいく。高知道は須崎東インターより以西が無料区間となるため、一旦料金所を通過しなければならない。須崎東料金所を深夜0時以降に通過するとETC深夜割引が適用され、ぐぐーっと通行料が安くなる。午前0時までの30分間ほど料金所の手前で路肩に止まり時間調整をしていたので、中村(四万十市)に着いたのは午前1時を過ぎていた。コンビニに寄り朝食をゲットし中村駅へと向かう。中村駅の裏側には後川沿いに無料の駐車場がある。駐車場に車を停め、積んでいた自転車を車の外に出し、すべての窓に100円ショップで買ったサンシェードを取り付ける。サンシェードは窓の形に切り抜いているので車内に街灯の光はほとんど入らない。車は8人乗りのいわゆるミニバン。3列目シートを床下へ仕舞い、2列目シートを最前部までスライドさせると車内後部の荷室は広大で、足を伸ばして横になれる。銀マットを敷いてコールマンの寝袋に横たわると、あっという間に意識が無くなりバク睡した。

翌朝5時頃だろうか、ガラガラガラガラというディーゼルエンジンの音で目が覚める。車の後ろはすぐ駅の構内で、始発列車がエンジン始動したようだ。薄暗い車の中で寝袋に包まった状況が寝ぼけた頭ではしばらく掴めず、まどろみながら15分ほど二度寝を楽しむ。よし!起きよう。ペットボトルの水で顔を洗い歯を磨く。昨晩買ったコンビニおにぎりをほおばりながら、自転車の後ろに簡易のキャリアを取り付け、わずかな着替えと野宿用のグッズ、そして納経帳を入れたリュックをくくり付ける。

平日の朝だけど、早朝なので中村駅前に人の気配はほとんど無く閑散としている。車は中村駅の無料駐車場に帰りまで停めておく。当然ながら鉄道利用者が無料な訳だが、帰りには宿毛駅から土佐くろしお鉄道で輪行して戻ってくる計画なので、タダで車を停めていても後ろめたさは感じない

眠気覚ましと足慣らしに早朝の中村(四万十市)市内を徘徊してみるが人がいない。今朝は曇りがちな空模様、まるで心を映しているかのよう。

暗いことは考えず元気を出して足摺へ向けて出発! まずは四万十川へ行ってみよう。

四万十川に架かる赤鉄橋を渡る。四万十川といっても、この辺りの河原にはグラウンドが整備されていて、淀川や武庫川なんかの都会を流れる川とさして雰囲気は変わらない感じ。

でも、遠くを見ると自然豊かな四万十川が垣間見れる。

四万十川と中筋川に挟まれた細長い土手の上を河口方面へ南下していく。早朝のさわやかな風と自然いっぱいの風景が心を和ませてくれる。

もうすぐ河口。不入山とういう標高1,336mの御岳を源流とし、四国西南地域を大きく蛇行しながら196kmの距離をゆったりと流れてきた四万十の水は、まもなく太平洋に流れ込む。四万十川は天然ウナギも名物で、食事処の看板を見るだけでよだれが出てくる。

中村の赤鉄橋から四万十川に沿って8kmほど走ってきた。土佐清水方面へと続く国道321号線は、間崎から四万十川沿いを離れ伊豆田峠へと進んでいく。国道を進んでも交通量が多く楽しくないので、野鳥公園の中を走ってみたり畦道を進んでみたりするのだが、やがて国道に戻ってしまった。

国道321号線を伊豆田峠へ向けて緩やかに高度を上げていくと、金剛福寺への案内シールが両方向に貼られてある分かれ道に差し掛かる。この脇道は旧道への入口だ。この旅に出かける前に、伊豆田峠について下調べしていた。いにしえの時代から明治の終わり頃まで、中村から土佐清水方面に向かうには、険しい伊豆田峠を越えるしか道はなかった。伊豆田道と呼ばれた遍路道は急坂な山道で峠を越えていく。当時は峠付近にお堂や茶屋があり往来も盛んであったが、今では一部の歩き遍路さんが利用しているだけのようだ。明治43年(1910)に市野々へ抜ける車道が完成するが、切り立った崖にへばり付いた道幅の狭い、急勾配、急カーブが連続する大変険しい道路だった。転落事故も度々起こり、ついには昭和32年(1957)に県交通バスが転落し多くの犠牲者を出してしまった。その事故が継起となり、昭和34年(1959)に峠を貫く初代の伊豆田トンネルが完成し飛躍的に便利になった。便利になった足摺は観光ブームとなり、さらに車の交通量が増えたことから、峠の麓に新しいトンネルを掘ることになり、平成6年(1994)長さ1670mの新伊豆田トンネルが完成した。その後、初代の伊豆田トンネルは埋め戻されてしまう。

今では伊豆田峠には国道321号線の新伊豆田トンネルが貫き、坂といえるほどの坂ではなく、楽々と土佐清水方面に進むことができる。いにしえの伊豆田道を進み峠を越えてやろうと思っていたが、下調べで怖い話を知ってしまっていたので、現地に着いても1人で峠を行くのは気分が乗らずトンネルを進む事にした。いわゆる心霊話とか心霊スポットっていうものは信じては無いが、実のところは怖くて苦手なのだ。国道の交通量は多いがトンネル内の路肩には歩道があり、自転車も快適にバク走することができる。1.6Kmもあるトンネルをあっと言う間に抜けると緩やかな下り坂となる。最初の三叉路を右に曲がりしばらく進んだ市野瀬の集落にある「真念庵」へと向かう。「真念庵」とは、江戸時代に大坂寺嶋で活動した真念というお坊さんが、この地があまりにも不便であるため建てたお堂のこと。ココをなぜ知っていたかと言うと、真念が広めた「四國徧禮道指南」という江戸時代のいわゆるガイドブックを知り、現代文に翻訳した「四國徧禮道指南 全訳注」という書籍を購入し読んでいた。その文中で出てくる「真念庵」にとても興味を引かれ、憧れの場所と化していたからなのだ。「四國徧禮道指南 全訳注」は、稲田道彦先生が著書され講談社から発売されている。

真念法師は、三十七番札所の岩本寺から三十八番札所の金剛福寺や三十九番札所の延光寺までは、あまりにも距離が長く難行道程であるため、三つの寺を結ぶ中間地であるココ市野瀬に、天和年間(1681から1683年)の頃に地蔵大師堂を建立した。この地蔵大師堂はいつしか真念庵と呼ばれるようになり、庵の前に四国八十八ヶ所札所の本尊石仏を設置し、三十八番札所 金剛福寺への巡礼の打ち戻りの宿や荷物置き場として利用されるようになった。

ほどなくすると集落があり、どうやら真念庵はこの集落の中にあるようだ。ここの集落の住人や知人以外は入っていかないだろうと思うような路地に入り込み、真念庵を探すのだが見つからない。紙の地図もスマホマップも役には立たず、しばらく静まり返った集落をうろうろする。誰かに聞こうにも人の気配を感じないほど静まり返っている。

やっと真念庵への入口を見つけた。しるべ石があり石段が山の中へと続いている。

真念法師は土佐出身で大坂の寺嶋を拠点として、自ら20回以上も四国を回り、弘法大師が開いた霊場を巡り、道標や遍路宿を設置され、それまで八十八箇所よりもっとたくさんのお寺や神社、祠を修行の場としていた四国遍路から、八十八箇所の寺院を選び順番を付けられた。その経験をまとめた原稿を素に、大坂の野口氏がお金を出し、高野山奥の院護摩堂に住む洪卓が読みやすく編集し、刊行したものが「四國徧禮道指南」として普及した。今で言う四国遍路旅ガイドブックである。それまでの四国遍路は一部の僧侶や修験者が本格的な修行のために、修行の場を求め移動をしていたに過ぎず、真念が広めた「四國徧禮道指南」というガイドブックにより、四国遍路が一般人に開かれた。

静まり返った石段を登った先には、四国八十八ヶ所札所の本尊石仏が並ぶ。

真新しい石碑の横にいにしえの標石が立つ。

その歴史から、古めかしくシブいお堂を想像し期待していたが、真新しいお堂が建っている。建て替え費用の募金目標500万円が集まり、令和2年2月に新築となったようだ。木造建築は老朽化が早く建て替えも必要な処置だとは思うが、正直なところレトロ好きの自分としては、憧れの地でもあり残念な気分がぬぐえない。

当時は真念庵から三十八番札所 金剛福寺までの七里(約28km)の遍路道に、一丁間隔(約108m)で三百五十丁の丁石(道標石)が設けられていた。開発の進んだ今でも、当時の半分の約14kmの遍路道が残り、55基の道標石が立っている。真念道というイイ感じの竹林の中の遍路道を、ガシガシと自転車を漕いで行く。

国道らしき道路が見えてきた、と思ったら、遍路道を覆い尽くすほどの巨大なクモの巣が行く手を阻む。これに気付かず頭から突っ込んだりしていたら、もう最悪、頭から水をかぶり、とっととウチに帰っていたことだろう。クモの巣に触らないように自転車を倒して押し進め、上体はできる限り縮め、頭を極限まで下げ、そろりそりと通り抜ける。が、少しばかりネチネチとしたクモの糸が髪の毛に纏わり付いていて気分は超ブルーとなる。

国道に削られた真念庵からの遍路道は一旦ココまでで終了。

現代の真念庵と呼ばれているドライブイン水車は、入口や窓に木の板が打ち付けられ閉鎖されている。コロナ禍でつぶれちまったンだろうか。

長野道の草原を行く。朝日が気持ちいい。

市野瀬川にぶち当たり行き止まり、引き返したりするが、それも楽しくてしょうがない。

前回の旅の途中で出会った窪川町仁井田の「風白遊庵」のご夫婦に、ぜひ泊まるようにと勧められた「遍路宿ロッジ・カメリア」。夕食のカレーと朝食をお接待として無料でいただけるらしいが、今はコロナ禍でしばらくの間休業中のようだ。へんろ宿の経営はこの先大丈夫だろうかと心配になる。

続いては鍵掛道という遍路道を行く。伊豆田峠を越えてから、やっと住人を見たような気がする。追い越しざまに「おはようございます。」と挨拶してみるが返事は無かった。

今回の旅で初めて出合った太平洋。やはり今日は曇り気味でイマイチ天気が良くないが、海を見ると元気が出てくる。

国道は走らず極力遍路道を行く。

鍵掛川の橋の上から見る太平洋。

久百々道。道端には祠が奉られている。

国道をそれて、小山を越える遍路道へと踏み入れる。別にわざわざ踏み入れなくても先に進めるのだが、ついつい遍路道に引き入れられる。

小山を登っていくと石碑がゴロゴロ転がっている。中には真っ二つに割れてしまっている物もある。何となく繋がるように並べ直しておく。

自転車を担いで倒木を越えていく。日頃のストレスとウップンを晴らすかのように無心に汗をかく、が、朝から何やってんだろう、という気持ちが交錯する。

やがて遍路道の山道は農家の裏手へと続く。

みかん畑を貫いていた久百々道が終わる。

遍路道の消失している区間は国道321号線を走る。国道321号線は別名「サニーロード」という。3・2・1をサ・ニ・イと読ます語呂合わせ。そして「サニーロード」を日本語に訳すと「日当たりの良い道路」という意味。でも今日は自分の心と同じ曇り空。

大岐東道。前から来た軽トラと離合できない。草むらに半身を突っ込みなんとかかわす。運転しているおっちゃんは、こっちに気をかける素振りも無く走り去る。まぁそんなもんだ。

突然、広大な景色が目に飛び込んできた。足摺宇和海国立公園、大岐海岸。

大岐の浜は真っ白な砂浜と緑の林が1.6kmに渡りゆるやかな曲線を描く美しい海岸。とガイドブックには書いてあるが、今日は曇り空でいまいち美しさにかけるが、景色を眺めていると心が晴れる。

へんろ道保存協力会の地図では遍路道は大岐の浜を行くようだ。あしずり遍路道の看板も浜へ下りる道を指している。なので降りてみる。

浜へ降りるとサーフィンを楽しむ老若男女がたくさん来ている。しばし休憩がてら岩場に腰掛け、おにぎりを食べながら海とサーファーを眺める。

海へ流れ込む小川に架かる小橋が遍路道のようだ。車でやってきたサーファー達は、サーフボードを抱え小橋を渡り海へと入っていく。

浜を進むには小橋を渡らねばならん。

さらさらの砂浜を自転車で進むとタイヤが砂にめり込み、ペダルがめちゃめちゃ重たい。とてもじゃないが1.6kmもある砂浜を自分の脚力では漕いで行けない。

サーファーを見ながら自転車を押して歩く。学生のときバイト仲間に誘われてサーフィンしたっけ。それが最後かな~。いやいやハワイで川田君と水着の外人ナンパしてボディボードしたのが最後だな。

サーフィン楽しそうだ。浜辺を自転車押すのは辛すぎるし暑すぎる。海に飛び込みたい。

黙々と砂浜を1km以上は自転車押して歩いただろうか。今日は平日の金曜日、有給出して砂浜で黙々と自転車を押し歩く。忙しい毎日を断ち切るため仕事のケータイは切っている。そろそろ9時か、仕事のの事を思い出しドンヨリした気持ちで胸が締め付けられるのか、押し歩いている事でダルダルなのかは分からない。かなりの時間を掛けて砂浜を歩いてきた。やはり砂浜を行かずに内陸の国道を行けばよかった、と、かなり後悔している。

ようやく長かった砂浜も終わりを見せた。が、この先の岩山の手前には小川が海へと流れ込んでいて右にも左にも行けそうに無い。よく見ると先人達の足跡が続いているからこの先も行けるンだろう。と、楽天家の思考が目覚めてきた。

足跡は小川の手前で消えている。という事は小川を越えねばならん。

どうやら、小川の向こうの岩を登って茂みの奥へと行けるようだ。自転車担いで登れるやろうか心配だが他に道は無く、登れなければ長い長い砂浜を戻らねばならん。

草履を脱ぎ自転車担いで小川をジャブジャブと行く。水は冷たくめちゃキレイなので裸足に心地よい。

草履で自転車担いで岩を登っていく。濡れた草履の足元が滑りバランスを崩すが、前のめりの体勢で張ってあるロープを片手でつかみ登って行く。自転車捨てたくなってくる。

岩山を這いずるように登り、ようやく自転車に乗れた。大岐の浜を越えるのに1時間以上も掛かったし、体力と気力をかなり消耗してしまった。皆さんは国道を行きましょう。

だるだるで自転車を走らせ、幡陽小学校から国道を離れてしばらく進むと以布利漁港へと到着する。

以布利漁港には大阪海遊館の海洋生物研究所がある。ジンベエザメをはじめとする大型回遊魚など、海遊館で展示する生きものの収集と飼育、周辺海域の調査研究を行っている。

突如階段となる。防波堤に空いたすきまを押し進める。

以布利漁港の南側に架かる橋には、あしずり遍路道と書かれ矢印が橋を渡れと示している。

矢印が示すとおり進んでいるが、道のない石ころだらけの浜になる。

この先は岩場となり、どう見ても自転車で進めるとは思えない。以布利浜道駄場道という遍路道だが、大岐の浜の二の舞いになりそうなので、ここはパスしよう。

以布利浜道駄場道の岩場を進むのはあきらめ、漁港へ引き返し、以布利の集落を抜けていく。

集落内の細い急坂を進むか、大回りとなる県道を登って行くか迷う。

大回りとなる県道の上り坂を行くと、コケが生えた路肩の壁に「毎日笑顔」と書かれている。そういえば最近は心の底からの笑顔になった記憶がない。つらい時、悲しい時、しんどい時にこそ、ウソでも大笑いしてみると楽になる。

以布利から県道を登りきり、そのまま県道を直進しトンネルを抜けると土佐清水の町へ行けるが、窪津方面に左折して足摺岬へと南下する。

ホウノ谷道と呼ばれる遍路道があるはずだが見つけられず、ウサギの耳のような形をした大回りのルートの県道を進む。

右へ左へと山中の道が続く。アップダウンがほとんどなく舗装されているので高速で走行できる。

木々の隙間から太平洋が見える。こうゆう景色を見ると心が和む。

お遍路さん休憩所「てまり」。草が生い茂り廃墟となっている。これもコロナ禍の影響だろうか。