野宿でへんろ 足をズリズリ足摺遍路道 その4

夏の終わりに自転車お遍路旅へと出発した。昨日は中村(四万十市)から出発、あしずり遍路道を通り、足摺岬に建つ金剛福寺をお参りし、土佐清水で1人バーベキュー&野宿した。今日は土佐清水から出発、竜串、見残し海岸を観光し月山神社を目指している。

叶埼灯台は、明治44年に建設点灯された。八角形をしたレンガ造りの小型の灯台だが当初は五等灯台だった。その後光源は石油灯からアセチレンガス灯、そして電灯と改善された。足摺岬灯台よりも早く造られ、機器の改良はされたが、外観はほぼ建設当初の姿を残している。

ネコだらけの叶崎。どのネコもキレイで元気そうだが、何を食べているんだろう。水は水道蛇口の下にタライが置かれ、いつでも飲めるようにされている。と思っていたら軽トラがやって来て、昼寝していたネコどもが起き上がり集まってくる。軽トラを降りたおっちゃんとおばっちゃんは美味しそうなものをオモムロにネコ達に食べさせ始める。おっちゃんとおばっちゃんとネコの事やら、自分は自転車でお遍路している事、知り合いが関西にいるのでちょいちょい行く、なんて事を話す。

叶崎から一緒だったローディ乗りとしばらく並走するが、景色が見たくて止まってしまう。さようなら。

景色を見たり、写真を撮ったりと、チョイチョイ止まってばかりで順調な走りとはいえない。

イカ男参上!

釣り人参上!

海岸沿いの国道321号をひたすら進む。

あの岬の向こうに月山神社はある。その先のうっすら見えるのは沖の島。

大浦の漁港に到着。大勢のおっちゃんおばちゃん達が集まっている。祭りか? と思いきや、選挙演説だった。

大浦の漁港から山へと入る遍路道は急すぎて自転車では行けそうに無い。大回りとなるが車道を行く。でも車道もけっこうな急坂ではある。

途中、遍路道と合流し遍路道を進むことができるが、ここも車道を選択する。

坂道でしんどいけれど、海が見えると元気が出てくる。

海が見えたのは一瞬だけ、何となく神秘的に感じる山の中をクネクネと進んで行く。

ほどなくすると、月山神社に到着した。人の気配はなく、木々に囲まれ静まり返っているこの場所は、なんとも神秘的に感じる。月山神社は白鳳の世、後生修験道の開祖「役小角」が月影の霊石を発見し月夜見尊、倉稲魂尊を奉齋したのが開基という。

月影の霊石が無造作に置かれているが、空海僧侶が廿三夜月待の密供をおこなったという貴重なもの。

月山神社の大師堂は、安政五年(1858年)頃に建築された、像頭木鼻や蟇股彫刻が優美な宝形造りの建物。明治の廃仏毀釈以前は四国八十八箇所番外札所とされていた。しばらく人が訪れていないのだろうか、鳥居の間に巨大なクモの巣が張り巡らされ行く手を阻む。

象のシルエットを模した木鼻。木鼻とは「木の先端」という意味の「木端」が転じて「木鼻」に書き換えられたもので、頭貫などの横木が柱から突き出した部分に施された彫刻などの装飾のこと。「大仏様木鼻」には象鼻・獅子鼻・獏鼻などがあり、「禅宗様木鼻」には渦紋・植物紋などがある。

大師堂の天井には弘瀬友竹、河田小龍、宮田洞雪の他、幕末維新期の土佐を代表する絵師達の天井絵が奉納されている。

月山神社を後にし、ふたたびクネクネの山道を進む。たまに海が見える。

近くの小学生達が書いてくれた、お遍路さんへの応援メッセージがあちこちに吊るされている。うれしいねぇ。

大月へんろみちへの入口には、大きな応援メッセージの看板が立っている。応援されているし、ここからは遍路道を行こうと10mほど踏み入れてみたが、巨大なクモの巣が行く手を塞ぐ。クモの巣はイヤだ、やめておこう。

遍路道よりも大回りとなるが車道を進むことにした。赤泊の浜へ向けて下り坂を攻める。

下り坂のカーブが続き調子に乗る。下りコーナーは最高に気持ちいい。

調子に乗ってコーナーを攻めていたが、前方からダンプカーがやってくる。危うく人生終了するとこだった。工事現場か土砂採取場かわからんが、ダンプカーが頻繁に走ってくる。下り坂を攻めたい気持ちを抑えてゆっくり進む。

途中の分かれ道を右に進めば姫ノ井という町に直接出るが、遍路道は一旦赤泊の浜へ降りているので、車道を行く自分も赤泊の浜を目指して坂道を下って行く。

坂道を下りきると赤泊の浜辺にでた。昨日、財布を忘れて時間ロスしていなければ、ここで1人バーベキュー&野宿をしようと思っていた。

付近には民家も無く、ただ波の音だけが聞こえている。雰囲気は最高だけど、街灯も無く夜になれば真っ暗だろうし、水道やトイレなんかも無いので、財布を忘れて土佐清水の堤防で野宿したのは結果オーライ。と気をよくする。

先ほど手持ちのドリンクが尽きてしまった。事前に購入するのを忘れていた。通りすがりのおばあちゃんに近くに商店か自販機は無いか尋ねるが、答えはNo~。

赤泊の浜辺からはひたすら登り坂が続く。きつい坂ではないが長いと汗だくになる。汗だくで喉が渇くがドリンクは無い。

汗ダクダク、喉カラカラで姫ノ井の町に到着する。お買い物は町内で!という看板に迎えられる。買うよ買うよ!、ドリンクも昼メシも買っちゃうよ~

松尾商店は閉まっているので自販機でドリンクを買いむさぼり飲む。のどを鳴らしてむさぼり飲む。昼メシを食いたいが店は閉まっている。

無人販売には昼メシになりそうな物は置いていない。

鮮魚店にも昼メシはなさそうだ。うーん、他にお店が無い。

交番で昼メシを食べられる所は無いか聞いてみよう。しかし交番にお巡りさんはいない。近くにいた散歩中のおじいさんに昼メシを食べられる所は無いか聞いてみるが、姫ノ井の町にはそんな所は無いらしい。ごめんねぇと謝られる。

姫ノ井村の庄屋喜兵衛がつけたまっすぐな道を走っていると、道の駅大月ってのがこの先にあるようだ。道の駅なら何か食べられるだろう。

ありました道の駅! 2Fにはレストランがある! が、閉まっている。なんてこったパンナコッタ。

ここの道の駅はクオリティが高い。売店を物色すると、目についたアレを頼んでしまう。

たまらん美味いのです。汗だく腹ペコにはたまらん美味いのです。

道の駅大月には、ふれあいパークとわんぱくパークが併設されていて、大型のローラー滑り台なんかもある。

大月町の町ナカから見える山の上には、巨大な風車が並んでいる。遠いので羽はゆっくり回っているように見えるが、そのデカさを考えると羽の先端はものすごいスピードで回っている。

大月町の町ナカには飲食店や商店など、便利なお店がそこそこある・・・

大月町の町はあっという間に通り過ぎ、ザ・ど田舎になる。

国道を進むと岬と湾が交互に現れる。地理で習ったいわゆるリアス式海岸ってやつだ。

入り江には必ず漁港があるンだな。

なごむ。

入り江の水はとても綺麗だなぁ。

国道を逸れ小筑紫から大海へと岬を周ってみたり、釣具屋でしゃべったり、道の駅で買い食いしたりしながら宿毛へやってきた。宿毛の町ナカへは行かず、松田川の南岸を進む。

松田川に掛かる宿毛橋は、車が来ると自転車ですら離合できないくらい道幅が狭い。橋の中央に離合スペースがあるので車が途切れるまで待っておく。

橋の真ん中で待っていると、土佐くろしお鉄道の汽車が来た。1両でさみしい感じだが、それでも乗客は乗っていない。朝夕の乗客は多いンだろうか? 路線が宇和島まで繋がるのはいつの日だろうか、みんな車に乗るのはやめて鉄道を使おうって訳にはいかない。

巻き藁だな~。巻き藁を見たのは北海道富良野の風景以来だな。

宿毛から延光寺へは国道や旧国道があるが遍路道を行く。遍路道は昔ながらの地形に沿っていたり峠を越えたりと、歩く人用に造られているので、アップダウンがきつくカーブも多い。

でも国道を行くよりも断然楽しいのだ。

第三十九番札所 赤亀山 寺山院 延光寺 (しゃっきざん てらやまいん えんこうじ)

神亀元年に行基菩薩が聖武天皇の勅命を受けて、安産、厄除けを祈願して薬師如来像を彫造、これを本尊として本坊のほか十二坊を建立したのが開創とされている。当時は、薬師如来の瑞相にちなんで亀鶴山と称し、院号は施薬院、寺名を宝光寺と呼び、また、本尊の胎内には行基菩薩が感得したという仏舎利を秘蔵したと伝えられている。弘法大師がこの寺を訪ねたのは延暦年間(782〜805)で、桓武天皇(在位781〜806)の勅願所として再興、日光・月光菩薩像を安置して、七堂伽藍を整えた。平安中期、延喜11年(911年)竜宮に棲んでいた赤亀が背中に銅の梵鐘を背負ってきたという。僧たちは早速これを寺に奉納して、これまでの山号、寺名を「赤亀山延光寺」に改めた。

延光寺に到着。いやぁ~金剛福寺から遠かった。なんだかんだイロイロあって丸一日以上掛かってしまった。

山門前で一礼する。

鐘を撞かせていただく。この鐘は赤亀が背中に背負ってきた鐘ではない。

本堂。

大師堂。

本堂の右手にある眼洗い井戸。延暦年間(782〜805年)に訪れた弘法大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水を「宝医水」と名づけられたのが、この「眼洗い井戸」。眼病にも効くらしく、眼底出血の自分も目の周りに塗っておく。

延喜11年(911年)竜宮に棲んでいた赤亀が背中に銅の梵鐘を背負ってきたという。僧たちは早速これを寺に奉納し「亀鶴山 施薬院 宝光寺」であった名称を「赤亀山 寺山院 延光寺」に改めた

立派な宿坊っぽいが、延光寺に宿坊は無い。このあと納経しご朱印をいただく。延光寺をゲット!

山を越える歩き遍路道。突入しようとしたが、散歩中のおじいさんに「やめなさい」と止められる。

国道から逸れる道があれば迷い無くそちらを通る。

揚げモンのイイ匂いにつられ、急ブレーキを掛ける。匂いの元はジャコ天を店先で揚げていた。

気さくなおばちゃんがさっそくジャコ天を揚げてくれる。

立って食べるのもナンだから、事務所のソファーで食べていき、と言ってくれた。四国のソウルフード、熱々ジャコ天うまいっす!

宿毛市内を燃える男の赤いトラクターが爆走する。

三連休だったが、急な仕事案件が飛び込んできて、明日は休日出勤となってしまい帰らなければならない。当初予定していた宇和島までは無理でも、宿毛から松尾峠を越える遍路道を行き、せめて観自在寺までは辿り着きたい。お寺まで25kmほどだが峠越えルートなので3時間くらい掛かるかもしれない。今は14時30分なので、観自在寺に着くのは17時を過ぎてしまうだろう。お寺は17時まで、間に合いそうに無い。どうしようかなと、あーでもこーでもと考えをめぐらす。

今から帰っても夜になるな、明日も早いしな、という事で、お遍路旅終了~。一先ず宿毛駅から中村駅まで汽車に自転車を乗せて輪行しよう。次の汽車は何時かな? とスマホで検索すると1分前に出発していた。そういえばさっきディーゼル音を聞いたような気がする・・・現在14時35分、次の汽車は16時11分!なんと1時間半待ち!

1時間半待ちするくらいなら、中村駅まで自転車で戻ろうかとも思ったが、中村駅の旅客用の無料駐車場に停めている車の事を思い出し、土佐くろしお鉄道を使わねば無断駐車になるな、と言う事で輪行することにした。さて、何して時間をつぶそうか。駅ナカにはレンタル自転車屋さんがあったりして、店員さんと今回のお遍路道中の事や自転車のことなど話をした。次回は自転車を持たずに夜行バスで宿毛まで来て、レンタル自転車で進むのも良いかもね。

駅前にはイロイロと大型店舗があり時間つぶしに入ってみようかとも思ったが、なんだか腹が減った。駅前にあるうどん屋さんに目が留まり入る。

お店にはきれいな奥さんがいらっしゃる。あらためて高知女子のレベルの高さがうかがえる。気を良くして、冷やしぶっかけとかきあげ、疲れを癒す梅干をいただく。

つづきはいつの事になるのやら。