野宿でへんろ 足をズリズリ足摺遍路道 その2

仕事が忙しく休みも無く働いているところへ、いわれの無いパワハラまがいの重圧と家庭環境の悪化で、心は乱れ体も不調な兆候が出始めた。なかば逃げ出すように、心の拠りどころを探したい、心の解放を計りたい、すがるような思いで、夏の終わりに自転車お遍路旅へと出発した。今日は中村(四万十市)から出発、あしずり遍路道を通り、足摺岬に建つ金剛福寺を目指している。

尻貝の浜。この付近の岩石は2000~2800万年前に泥岩や砂岩が深海へ崩落し地層となり隆起したという話。

窪津の漁港に到着。辺りには食欲をソソる旨そうなダシのイイ匂いがしている。

食欲をソソるイイ匂いの正体は、中荒さんの水産加工場で蒸しあがったメジカの香り。日本人にはこの匂いはたまらないねぇ♪みたいなことをフォークリフトを操るお母さんとしばらく雑談する。

窪津の漁港には獲れたての魚や水産加工品を販売するお店があるので覗いてみる。新鮮な魚が並んでいて食べたいが持って帰るわけにもいかないし、クール便で送っても数日後にしか食べられないし、冷やかしだけで店を出た。

日本全国どこでもおばあちゃんは元気だねぇ。

金平庵という遍路小屋。休憩や宿泊ができるようだが、自然に帰していそうなのでスルーする。

高台の下駄馬道を行くと海が見える。

天竺紅茶に興味を引かれる。チャイは美味いよねぇ。休憩したいが足は止まらなかった。

下り坂は楽しくてしょうがない。

またまた遍路道に踏み入る。枯れ葉が積もり少し慎重に自転車を走らす。

標石が立つ赤碆道。

中村駅から足摺岬までバスだと1時間45分。今日はここまで4時間近く掛かっている。寄り道や押し歩きが多かった。

いよいよあと2kmで足摺岬。金剛福寺は足摺岬に建つ。

進んで来た道を振り返ると、太平洋から切り立った断崖絶壁の上に造られた道であった。

いつしか周りは南国の植物に囲まれている様な気がする。

ひとまず、天狗の鼻という岬に向かう。切り立った断崖絶壁の上にある展望台から見る景色は壮大ぜよ。

天狗の鼻から遊歩道を通り足摺岬に到着。金剛福寺は目の前だが、先に足摺岬に寄ってみよう。

ジョン万次郎が太平洋へ睨みを利かせている。ジョン万次郎って何した人? よく知らなかったのでスマホで調べてみる。

ジョン万次郎こと中濱万次郎は、文政10年(1827年)土佐清水にほど近い中浜という小さな漁村に住む貧しい漁師の次男として生まれる。14歳のときに仲間と共に漁に出て遭難し数日間漂流した後、太平洋に浮かぶ無人島「鳥島」に漂着する。漂着から143日後、仲間と共にアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって助けられ、日本人として初めてアメリカ本土へ足を踏み入れる。アメリカ本土に渡った万次郎は、ホイットフィールド船長の養子となり、英語や数学、測量、航海術、造船技術などを学ぶ。学校を首席で卒業した後は、数年間、捕鯨船に乗り働いたが、やがて日本に帰国することを決意し、ゴールドラッシュに沸くカリフォルニアに移り、金鉱で得た資金をもとにハワイにいる漂流仲間と共に日本に帰国する。嘉永4年(1851年)琉球に上陸した万次郎達は薩摩本土に送られ、薩摩藩や長崎奉行所などで長期に渡っての尋問を受けた後、帰国から約2年後、ようやく土佐へ帰ることができた。土佐では高知城下の藩校「教授館」の教授となり、後藤象二郎、岩崎弥太郎等が直接指導を受けた。江戸幕府に招聘され幕府直参となった中濱万次郎は、翻訳や通訳、造船指揮、人材育成など精力的に働く。そして、万延元年(1860年)日米修好通商条約の批准のための使節団がアメリカへ渡る際、随行艦の「咸臨丸」に通訳と技術指導員として乗船し、艦長の勝海舟や福沢諭吉らとともにアメリカへ行く。アメリカから帰国後も、小笠原の開拓調査や捕鯨活動、薩摩藩開成所の教授、上海渡航、明治政府の開成学校教授、アメリカ・ヨーロッパ渡航と働き続けたすごい人なのだ。

展望台があるので登ってみよう。

展望台には楽しげなデート中のカップルが愛を育んでいた。

展望台から左手を眺めると、先ほど寄り道していた天狗の鼻が見える。さっきまで居たのはやはり切り立った崖の上だったことがあらためて分かった。

壮大な太平洋の景色を見ながら、波乱万丈な人生をおくったジョン万次郎のことを知ると、ちっぽけな自分の悩み事など大した事の無い様に思えてくる。忙しい毎日を過ごし心と体のバランスが崩れている様に感じているが、ジョン万次郎の人生に比べれば大した事ではないのだろう。自分に勇気とやる気が足りないのではないのか? ツイてないと思うのは準備と努力が足りないのではないのか? パワハラまがいと感じるのは自分の立ち回りがよくないからではないのか? 家庭環境が悪化しているのは自分に優しさと包容力が無くなっているからではないのか? 自問自答を繰り返す。

展望台からの視界は270度も見渡せるようだ。地球の丸みが何となく分かる。右手を見ると足摺岬に白亜の灯台が立つ。

でも自分には、そのちっぽけな悩み事が大きな存在となって心に重く圧し掛かっている。他人より大きかろうが小さかろうが、自分にとってはそれがすべてなのだから。崖から身投げする勇気も無い。

白亜の足摺岬灯台。四国の最南端足摺岬の突端に大正3年(1914)に点灯された。高さ18m、光度46万カンデラ、光達距離38kmという日本で最大級の灯台のひとつ。

展望台から足摺岬灯台へは歩いて5分ほど。岬へと続く椿のトンネルを抜けて行くのだが、何となく金剛福寺をお参りしてから行こうと思い直してしまう。そしてこのあとショッキングなことが判明し、お参りの後に灯台へ行くのを忘れてしまった。写真は20年ほど前に家族旅行で訪れた時のもの。当時は避雷針が無かったようだ。

第三十八番札所 蹉跎山 補陀洛院 金剛福寺

弘法大師はその岬突端に広がる太平洋の大海原に観世音菩薩の理想の聖地・補陀落の世界を感得した。ときの嵯峨天皇(在位809〜23)に奏上、勅願により伽藍を建立、開創したと伝えられる。弘仁13年、大師49歳のころといわれる。縁起の仔細をみると、大師は伽藍を建立したときに三面千手観音像を彫造して安置し、「金剛福寺」と名づけられた。「金剛」は、大師が唐から帰朝する際、日本に向けて五鈷杵を投げたとされ、別名、金剛杵ともいう。また、「福」は『観音経』の「福聚海無量」に由来している。歴代天皇の勅願所となっていたが、武将からも尊崇された。とくに源氏一門の帰依が厚く、源満仲は多宝塔を建て、その子・頼光は諸堂の修復に寄与している。

四国最南端の地に建つ金剛福寺に到着。前の札所 岩本寺からここ金剛福寺までは、札所間の距離が85kmもある四国遍路で最長区間。お遍路さんだった事を忘れかけていた。

山門をくぐり境内に入るが、御遍路さんはおろかお参りしている人の姿もない。

本堂前で、まずはお賽銭、お賽銭っと。肩から斜め掛けしているシングルショルダーバッグから財布を取り出そうとして驚愕する。財布が無い!落とした?いやいや今日はまだお金を使っていない。なので落としようが無いはず。昨夜、中村のコンビニでおにぎりを買ってからお金は使っていない。リュックの中も探すがやはり無い。コンビニで落としたか?それとも車に置いてきたか? あぁもう自分が嫌になる。

そういえば、リュックの内ポケットにイザッてとき用に千円札を2枚入れているのを思い出す。この2,000円の使い道を必死のパッチで考える。ご朱印二冊分が600円。財布を捜しに土佐清水からバスで中村に停めてある車まで戻ると1,400円掛かる。お賽銭はどうしよう。終了~チーンである。お賽銭も出せないし、何も買えない、何も食えない・・・自転車で中村まで戻ろうか、それだと時間的に今回計画した月山神社経由で進むルートが崩れてしまうかも。

大師堂をお参りするが、お賽銭を出せない私をお許しください。

境内には大きな池と土佐五色石が随所に配置された庭園となっている。このあと納経しご朱印をいただく。金剛福寺をゲット!

門前に建ち並ぶお土産屋さんに観光客の姿は無く、あらためてコロナ禍での観光業の悲惨な状況を垣間見る。お金を現地に落とすのも遍路旅の役割。お土産を買い、お茶でもしようと思ったが、お金が無いンだった。ゴメンなさい。

金剛福寺を後にし、足摺の西側を進むルートで土佐清水へと向かう。白山神社の前の道路には亜熱帯風の木々が立ち並ぶ。

万次郎足湯。財布が無いので諦めかけたが、なんと入場無料なので入ってみよう。

階段状に足湯が造られていて、窓の下は断崖絶壁。足湯に浸かりながら眼下の白山洞門と太平洋が展望できる。誰もいない貸しきり状態の足湯で洞門と太平洋を満喫する。

疲れた足を癒す。いやぁ~たまらん気持ちいい。気持ちよすぎて出られず20分くらい浸かってしまった。

万次郎足湯をマンキツし、施設の裏手へ降りていくと白山洞門が一望できる。白山洞門は高さ16m、幅17mあり、花崗岩の洞門では日本一といわれている。

太平洋の荒波が岩を削り穴を開けた海食洞門。上から見ても迫力満点だ。下まで降りて行けるようだが、結構な高さの階段を登り降りしなければならんので、やめる。

あしずり温泉郷には、太平洋を満喫できる露天風呂もあるホテルが建ち並ぶ、日帰り温泉など楽しもうかとも思ったが、お金が無いンだった。残念無念!

真念僧侶の四国遍路道指南には嵯陀山(金剛福寺)を参った後は信念庵へ戻れと記されているが、同じ道を帰るのもつまらないので足摺岬の西岸を走り土佐清水を目指す。このルート最高!

断崖絶壁の上のわずかな隙間に暮らす方々がいらっしゃる。ココで暮らすのは大変だろうなと率直に思ってしまう。今の自分の大変さなんてたかが知れているのかと思う気持ちと、こういう所で暮らす方がイイかもと思う気持ちが交錯し、不安定な気分になる。

この先は松尾から白碆を進み、海岸線の景色を満喫し、海に突き出た岩場の上に建つ竜宮神社というパワースポットで元気をもらおうと思っていたのに、なんだか不安定な気分からか、新しくできた松尾トンネルを抜けてしまった。トンネルはショートカットするので楽だがやっぱり面白く無い。

この付近では、太平洋に沈む夕日が蜃気楼のように揺らぎ、まるでダルマのようなシルエットとなる「だるま夕日」が見られる。11月中旬から2月頃のよく晴れた日で、大気と海水の温度差が大きい日にほんの数秒だけ現れる。年間に20回ほどしか見られない貴重な夕日らしい。ぜひ見てみたいもんじゃのう。

大浜の集落を過ぎて、坂を下ると中浜の集落。中浜はジョン万次郎の生誕地。生家があるというので寄ってみよう。

中浜にあるジョン万次郎の生家は、写真をもとに設計復元された茅葺き木造平屋の建物。財布の無い人にも優しい無料で公開されている。中村(四万十市)在住の本気のローディー乗りが一緒だったので、二言三言ばかり話をする。少し不安定な気分が緩んだ。

建物の中も再現され、当時の貧しい暮らしがよく分かる。ジョン万次郎は歴史の偉人として、明治維新の立役者の一員として激動の人生を歩んだが、漁に出て遭難していなければアメリカで教育を受けることもなく、いかに優れた人物であっても当時の土佐の厳しい藩政の中での暮らしでは、名も無き漁師で生涯を終えていたんだろう。そう思うと人生、何が幸いとなるのか分からない。思い悩んでいてもしょうがない。勇気を持って頑張るしかない。

中浜の集落を後にし、再び坂道を登って行く。不安な気分の時には坂道を登るのが良いように思う。呼吸を荒げ、脈拍を高め、汗をかくと、その間、嫌なことは忘れているから。と、思っていると会社ケータイが鳴っている。嫌な予感しかしないので居留守を使おうかとも思ったが、ジョン万次郎を思い出し電話に出る。案の定、至急の案件が舞い込み日曜出勤が決定した。三連休で英気を養おうとしていたが、お遍路の旅は明日で終了しなければならなくなった。

登った後の下り坂はサイコー。

「清水の名水」という山の麓からの湧き水で顔を洗う。めちゃ冷たくて気持ちよすぎる。顔だけでは物足らなくなり、頭と首筋と腕と脚も洗ってしまう。この「清水の名水」が土佐清水の地名の由来になったんだとか。

土佐清水の町が見えてきた。昔はこの付近に入海渡しという対岸へ渡る渡し舟があったようだ。

今は渡し舟はなく湾に沿って道があるので進む。町ナカも海が近い、というか海面が近い。

昼過ぎに土佐清水に到着。腹減った!どこかで昼メシ食べたい!

お食事処あしずりで、カツオやらサバやら新鮮な魚介の昼メシを食べたい。でもお金が無いンだった。

土佐清水の街ナカにはショッピングセンターもあり、買い物も便利なのだが、お金が無いンだった。

財布を探しに中村駅に停めてある車まで戻ることを考えたが、車に戻っても財布があるかは分からない。しかし、お金が無いまま先に進むのは困難なので、やはり戻ろう。中村駅行きのバスはプラザパルというスーパーの前から40分後に出発するので、ここの駐輪場に自転車を停め店内で時間をつぶす。お金が無いので何も買えないが、今日の晩ご飯と必要な品々を物色しておく。美味そうなものを見るたびに腹が鳴る。

プラザパル前から出発するバスに1時間ほど揺られ、中村駅に停めてある車に戻ると、ありました! お財布ありました! ひと安心すると猛烈に腹が減っていることに改めて気が付く。歩いて店を探すのもメンドウなので中村駅の売店でおにぎりを買い、涼しい駅の待合い室で食べる。なんだかんだ食べ終わっても、土佐清水行きのバスの発車時刻までまだ20分近く待たねばならん。

再び1時間ほどバスに揺られ、ようやく土佐清水に戻ってきたが、この間の時間的なロスは3時間半、そしてバス代が往復2,800円も掛かってしまい、痛恨のミスを犯した自分の醜態と、明日でお遍路旅を終えなくてはならない現実に嫌気がさす。三連休で予定していた行程は木っ端微塵に粉砕されたが、夜道を進んでもまったく楽しくないので計画を練り直す。今日はもう自転車で進む気分にはなれず、先を目指すのはやめにしよう。

マイナー気分を紛らわすため風呂に入って気分を変えよう。土佐清水で唯一生き残っている銭湯「旭湯」は漁港の近くにあり、港町らしく仕事上がりの漁師さん風の人達でにぎわっている。

期待通りの定番下駄箱。いいね。

一瞬のスキを突いて写真を撮ったのでガラガラのように見えるが、漁師さんと思しき日焼けしたゴツイおっちゃん達でにぎわっている。

銭湯を出ると夕暮れが迫ってきていた。スッキリした体と心地よい疲労感でしばらく漁港の様子を眺めていた。財布を探しに戻るロスがなければ月山神社の先にある大月町赤泊の浜まで進み、浜辺で1人バーベキューをして野宿するつもりでいた。こんな街中でバーベキュー&野宿はムリムリ。どこか場所を探さねばならん。