続 日帰りへんろ 焼山寺アタック その3

今日は前回の終了地点だった藤井寺の最寄り駅JR鴨島駅から出発し、四国遍路の最大難関といわれる焼山寺への山道をヘロヘロになりながら漕ぎ上がり、その後下り坂を満喫。フモトの大日寺と流水岩の上に建つ常楽寺をあとにし、次の札所国分寺を目指しペダルを漕ぎ急ぐ。古い小さなお墓が点在する下り坂を進む。

第十四番 常楽寺奥の院 慈眼寺

途中に常楽寺奥の院との看板があり登ってみる。

常楽寺奥の院 慈眼寺。

早く行かねば。分かれ道が多いが、辻々にへんろ用の矢印シールがあり迷わずに進める。

第十五番 薬王山 金色院 國分寺

仏教に篤く帰依した聖武天皇(在位724〜49)は、天平13年に国家の安穏や五穀豊穣、政教一致、地方文化の向上などを祈って、勅命により全国68ヶ所に国分寺、国分尼寺を創建した。奈良・東大寺はその総国分寺ともいわれる。縁起によると、阿波國分寺には聖武天皇から釈迦如来の尊像と『大般若経』が納められ、本堂には光明皇后のご位牌厨子を奉祀されたと伝えられている。開基は行基菩薩で、自ら薬師如来を彫造し本尊としている。創建当初は奈良の法隆寺や薬師寺、興福寺と同じ南都の学派に属する法相宗であり、寺領は二町四方で、ここに金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七堂伽藍が整っていた。弘法大師が弘仁年間(810〜24)に四国霊場の開創のため巡教された際に、宗派を真言宗に改めている。

天正の兵火によって灰燼に帰しており、境内は相当に衰微していた様子が寂本著「四國禮霊場記」(元禄2年 1689年)からも知ることができる。寛保元年(1741年)に阿波藩郡奉行、速水角五郎によって伽藍が再建されて以来、現在の禅宗・曹洞宗寺院となっている。

国分寺の看板を見つけ右を見ると、田んぼの奥の住宅の隙間から、お寺の屋根が見えた。薬王山と書かれた山門の前に進む。十五番国分寺。

山門をくぐり七重塔の礎石と鐘楼の間に自転車を置く。

遠目にお寺を見たときから何か違和感を覚えていた。本堂を間近に見て、違和感がさらに増した。こちらの本堂は今まで周ってきたお寺とデザインが異なる。お寺というかお城のデザインに近い気がする。屋根の上には鯱も載っている。この建築様式は二重の屋根となった入母屋造りとの事。高さがあり、見下ろされている様な迫力がある。ここでも団体のお遍路さんが、般若心経を大合唱している。団体さんの後方からお参りし、そそくさと移動。

本堂の横には阿波国分寺庭園があり、桃山時代に造られた枯山水や築山を組み合わせたお庭とのこと。入場には300円掛かるが入ってみる。

庭園から出てみると団体さんのツアーガイドに先を越されており、しばし待ちぼうけ。ボストンバックに納経帳をまとめて持って来られると、ご朱印するほうも大変だろう。たまには違うことも書いてみたくなるだろうなどと思いながら、気長に待つ。

なんとか納経頂き、十五番国分寺ゲット。

自転車に戻ろうとしていると、お遍路ツアーのおばちゃん達から、自転車速いねぇ、もう着いたんだ、と声を掛けられる。ずっと一緒ですかと話を合わせてみるが、顔は覚えていない。ツアーのお遍路さんは格好が一緒なので皆さん同じ顔に見える。

お寺の横を通り、田んぼの道を行く。地図に従い自転車を進めると、信号の無い、国道192号線を横切らなければならない。田畑の目立つ住宅地を進んでいくと、大通りに出た。行き過ぎである。来た道を戻り、お地蔵さんの佇む角を、ここだろうと予想し曲がる。左にそれらしい板塀が続くが、どうやら違うようだ。右に曲がり進む。この付近は住宅が多く、道も入り組んでいて分かり辛い。

第十六番札所 光耀山 千手院 観音寺

弘法大師がこの地を訪ねているのは弘仁7年(816年)のころで、本尊像などを彫造して再興し、現在の寺名を定めたとされている。

寺に伝わる宝物に『観音寺縁起』一巻がある。巻末に「享保十乙秋穀旦 南山沙門某甲謹書」の署名があり、享保10年(1725年)に高野山の僧が筆写したことがわかる。その冒頭で「南海道阿波国名東郡観音寺邑 光耀山千手院観音寺縁起」と書き出し、観音寺が弘法大師によって創建され、大師自ら千手観音像を彫造して本尊にしたこと、また脇侍像に悪魔を降伏する不動明王像、鎮護国家の毘沙門天像を刻んだことや、徳島藩主の蜂須賀綱矩公が新築・移転に協力したことなどの寺史が詳しく記されている。この『縁起』とは別に、寺伝では聖武天皇(在位724〜749年)が天平13年、全国68ヶ所に国分寺・国分尼に寺を創建したときに、行基菩薩に命じて勅願道場として建立した由緒ある古刹とされている。その後、他の阿波各地の霊場と同じように栄枯盛衰の運命を歩み、「天正の兵火」(1573〜1592年)にも罹災、蜂須賀家の帰依を受けて万治2年(1659年)に宥応法師によって再建され、現在に至っていると伝えられる。

迷いながらも次の角でふと左を見ると、山門らしきシルエットが目に飛び込んだ。近づくと真新しい湾曲した立派な屋根のお寺が見えた。十六番札所観音寺に到着。駐車場に自転車を置き、仁王門へ回る。古く威厳のあるこちらの門は、鐘楼が上部にある堂々としたすばらしい鐘楼門だ。

鐘楼門を進み入るが境内は非常に狭い。さらに本堂は、妙に真新しい。数年前に建て替えをしたようだ。

納経し観音寺ゲット。

地図と道標を頼りに、井戸寺を目指す。国道192号線を渡り、府中駅付近を走る。旧家もちらほら見られる。

府中駅にはお遍路さんが汽車を待っている。

徳島線府中駅そばの踏切を渡り、北向きに進んで行く。

へんろ道に従って走っていく。辻々にはお地蔵さんが見守っている。

第十七番札所 瑠璃山 真福院 井戸寺

弘仁6年(815年)に弘法大師が尊像を拝むために訪れたとき、檜に像高約1.9メートルの十一面観音像を彫って安置されている。この像は、右手に錫杖、左手に蓮華を挿した水瓶をもった姿形で、現在、国の重要文化財に指定されている。大師はまた、この村が水不足や濁り水に悩んでいるのを哀れみ、自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出した。そこで付近を「井戸村」と名付け、寺名も「井戸寺」に改めたという。

7世紀後半の白鳳時代は、清新な日本文化が創造された時期で、律令制もようやく芽生えて、阿波の国にも国司がおかれた。この国司に隣接して、天武天皇(在位673〜686年)が勅願道場として建立したのが井戸寺であり、当時の寺名は「妙照寺」であったという。寺域は広く八町四方、ここに七堂伽藍のほか末寺十二坊を誇る壮大な寺院があり、隆盛を極めたと伝えられている。本尊は、薬師瑠璃光如来を主尊とする七仏の薬師如来坐像で、聖徳太子の作と伝えられ、また、脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩の彫造と伝えられる。南北朝時代以降の寺史は激変する。まず貞治元年(1362年)、細川頼之の兵乱で堂宇を焼失し、次いで天正10年(1582年)には三好存保と長宗我部元親との戦いでも罹災している。江戸時代に本堂が再建されたのは万治4年(1661年)であった。

今日の最終目的地である十七番札所井戸寺に到着。

井戸寺の中華風の朱塗りの仁王門の横を通り過ぎる。

仁王門の裏に自転車を停める。道と敷地の境界がよく分からないが、歩き進み、本堂にてお参りする。

井戸寺というだけあって、井戸が有名らしい。面影の井戸という。覗き込み、水面に自分の姿が映れば無病息災という、よくある話。水があり、波立ってなく、浅ければ映るだろうよ。などと思いながらも、小心者なのでびびりながら覗いてみる。無事映った。良かった良かった。

本尊十一面観音は国宝

納経所の閉鎖時刻までまだしばらくあるので、境内でしばし休憩する。それにしても散歩の人や、親子連れの人々が多くいる。夕方近くだからだろうか。ばあちゃん達の元気な話し声が響き渡っている。それをぼーっと眺めていた。こういう何も考えない時間というのもやっぱり大事だな、などと考えているので何も考えていないわけではないが、随分と心の休息となったのは確かだ。

納経し十七番井戸寺ゲット。

次回は井戸寺からのスタートとするが、車を置いてあるので、今から今日の出発地、JR鴨島駅まで戻らなければならない。10km強ほどの距離だが、なんだか気力が薄れてきた。JRで輪行して鴨島まで行こうかと頭をよぎったが、今日は輪行バックを持ってきていなかった。県道30号線をひたすら西へ向かうのが分かりやすいが、夕方で交通量が多いだろう。やや上りの田んぼ道を西へひたすら漕ぎ急いだ。途中、川にさしかかる度に橋が無く、橋を求めて北へ南へと折れ進む。走っているルートがよく分からないまま西へ向かう。ここへ来て今日の疲れがどっと出てきた。ペダルが重く辛いが、進まなければゴールに着かず、ゴールしなければ楽にはならない。人生と同じだな。などと、センチメンタルジャーニーになってきた頃に鴨島駅付近に近づいてきた。

駐車場で着替え、自転車を積み込み、シートに腰掛けた。そこで腹が減っている事に気が付いた。焼山寺でうどんを食べたが、途中で調達したおにぎりを食べてない。車でおにぎりを食うのもさみしいので、徳島ラーメンを食うことにする。

真っ先に思いついたのが、いのたに。スマホで確認すると、徳島市内と鳴門にあるようだ。徳島市内の本店は閉店時間が早く、間に合わないだろう。営業時間の長い、いのたに鳴門店へ向かう。少し急ぎ目に車を走らせ、店内に入る。

メニューを見ると、ラーメンと肉入りラーメン。それぞれに中と大があり、あとはオプションのメンマと生玉子をトッピングするかを選択できる。その他のメニューは、めしとビールのみ。食いすぎると、帰りの高速が睡魔との闘いになるので、肉入りラーメン中を注文する。見た目は濃いが、味は甘過ぎず、辛過ぎず、こってりし過ぎず、スープをぐびぐび飲める。麺は細めのストレート。スープと相まっている。肉は小ぶりなバラ肉がびっしりとのっている。こちらは硬過ぎず、やわらか過ぎず、しっかりした醤油味がついている。疲れた体に実に良く合うラーメン。玉子をトッピングしておけばよかったと後悔。スープをすべて飲み干してしまった。車なのでビールが飲めないのが残念だ。

店を出ると小高い山の上に撫養城が見えた。

眠気と戦いながら帰途に着く。明石大橋からの夜景の眺望は最高だ。