土山宿の端、田村神社を後にし、いよいよ西の難所、鈴鹿峠を越えていく。
鈴鹿峠が近いのか、街道も坂道になってきた。蟹が坂というらしい。
白川神社を過ぎると旧街道はどうやら反対車線の向こうから山の中を沢に沿って進んでいくようだ。しかし案内板には途中で消滅しているので進入しないようにとの注意書きがある。旧街道を進むべきか国道1号線を行くべきか。なんとなく国道をチョイス。
東京より437km。あと437kmでお江戸日本橋。さほど坂道はきつくない。
新名神高速道路の高架橋。コンクリ丸出しで機能だけのセンスのかけらも無いデザイン。
ぶっつぶれた山賊茶屋。昔は繁盛していたのか。
国道1号は交通量の多い道だが歩道もあり安全に走行できる。と思いきや葉っぱが茂って通れない。旧道を行けばよかった。
あれ、もう鈴鹿トンネル? たいして登っていないのにもう峠? どうやら旧街道は国道の反対車線からトンネルの上を越えていくようだ。
なんとなくためらいもありトンネルをそのまま進む。トンネル内には広めの歩道があり安全走行できる。念のためにテールライトを付けようとしたが、なんと電池切れ、ピクリとも光らない。歩道が無いトンネルだとヤバかった。後ろからぶつけられたらひとたまりも無い。
トンネルを抜けると三重県。下り坂になっている。やっぱりこのトンネルが峠だった。西の難所の鈴鹿峠、滋賀県側(京側)からだと全然大したことない坂道だった。滋賀県(近江の国)に別れを告げ三重県(伊勢の国)突入する。
三重県(伊勢の国)の旧街道マップはこちらが便利。PDFをダウンロードして、印刷できる。
三重県側(伊勢の国)は、さすが西の難所と言うだけあって、めちゃめちゃ山岳。あんな下まで下って行くのか。
凍結防止のための散水パイプが山の高さを感じる。
延々の下り坂。これは三重県側(江戸側)から鈴鹿峠を越えるのは大変だ。西の難所と言われるだけのことはある。
国道の途中から旧道方面に入ってみる。この先は激坂の下り坂。
猛スピードで激坂を下っていくと片山神社。鈴鹿峠を守護する鈴鹿大明神。
片山神社のそばには石垣で組まれた九十九折りの山道が急角度で峠へと続いている。昔はここから坂道で峠を越えていたようだ。昔の人はえらいぞなもし。
今回は成り行きで国道1号の鈴鹿トンネルを抜けるルートで進んでしまった。しかし旧街道の旅、旧鈴鹿峠を通ってみたい、という衝動に駆られ、後日歩いて登ってみた。
杉林の中を下って行く。街道が片山神社の参道と化している。昔はこのあたりに坂下宿があったが、慶安3年(1650年)の大洪水によって集落が崩壊し、現在の位置に移った。ああ恐ろしや。
山を抜けると山村風景。茶畑の緑が眩しい。まもなく次の宿場町、坂下宿。