京都三条大橋から江戸日本橋を東海道五拾三次で目指す旅。今日は小田原宿から出発し、大磯宿、平塚宿、戸塚宿、保土ヶ谷宿、神奈川宿と進んできた。街道沿いの中華料理屋で食べた、エビとレタスのチャーハンが胃袋に重くのしかかり気分が悪い。おまけに悪天候に追いつかれて来たようで、曇り空になり風が益々強くなってきた。
青木町から、みなとみらいの方角を望み、首都高速横羽線を見上げる。
この先、旧東海道は国道15号線、いわゆる第一京浜に飲み込まれ、旧街道らしい町並みは望めないと思っていた。
横浜は坂の街。汗だくの顔と体を清めたい。ここは京急生麦駅近くの朝日湯。
子安を過ぎ、生麦一丁目から旧街道が残っていた。ここ生麦事件発生現場には案内板がある。
生麦魚河岸通りを進むと、頭上にJR鶴見線の国道駅。
国道駅は昭和の香り。
京浜急行鶴見駅を斜めに横切る形で旧東海道は続く。
鶴見川を渡る。
川崎宿
上段:今昔マップon the web 明治20年測図 明治29年発行地形図 下段:Google Map 2018
天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、川崎宿は、本陣2軒、脇本陣なし、旅籠屋72軒、家数541軒。宿場のすぐ脇を流れる六郷川には橋が架けられず渡舟での渡しだったが、のちに六郷橋が架けられた。川崎大師平間寺への参詣客でにぎわった。江戸日本橋まで、あと4里18町。
京浜急行八丁畷駅を踏み切りで渡るが、電車3本待ちとなる。
川崎宿いさご通り。
もともと持っていた川崎のイメージは、関西で言うと尼崎みたいなもんだと思っていたが、そうとうな都会だなと。
繁華街も充実。
川崎宿交流館なんかもある。
やはり都会の本陣跡はこんな感じ。
多摩川は神奈川県と東京都の都県境の川。巨人の練習グラウンドもあったっけ。
川崎 六郷渡舟
歌川広重 東海道五拾三次 川崎 六郷渡舟 保永堂版
広重は、六郷の渡しを品川側から川崎宿を望む風景を描いている。対岸には舟の到着を待つ人々や、その右手奥には船場会所があり船賃を払っている人々が描かれている。その奥に続く家並みが川崎宿で、その先には富士山が見えている。渡し舟にはさおを操る船頭と、のんびり煙草を吸う商人風の男、荷物の用意を始めた男、談笑する男女三人が、思い思いに舟の上で過ごしている。
六郷川(多摩川)には江戸時代初期まで橋が架けられていたが、洪水でたびたび流され、貞享五年(1688年)以降は六郷の渡しを舟で渡るようになった。現在、六郷川(多摩川)には六郷橋が架かり、歩いても自転車でも簡単に渡ることができる。川崎宿は高層マンションが樹立し大都会の様相。今日は曇り空、富士山は見えない。天気がよければ見えるのか?
ついに東京に突入。感無量ってほどでもないが。
国道15号線からはずれ、少し旧街道が残っていた。旧街道沿いは下町風情。
鎌田駅付近。
しながわ水族館。
鈴ヶ森刑場跡。お墓が並ぶ。
品川宿
上段:今昔マップon the web 明治20年測図 明治29年発行地形図 下段:Google Map 2018
天保14年(1843年)の東海道宿村大概帳によると、品川宿は、本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠屋93軒、家数1561軒。東海道第一番目の宿場。北品川宿、歩行新宿、南品川宿に分かれ、品川港は天下第一の巨港ともよばれ、海陸とも江戸への入口としてにぎわった。品川女郎を置く旅籠屋も多く、江戸四宿の一つとして栄えた。江戸日本橋まで、あと2里。
しぶい家屋。
立会川商店会。
鮫洲商店街。
青物横丁商店街。
何となく気になる居酒屋えいちゃん。
品川橋を渡る。北品川と南品川の境を流れる目黒川に架かる橋。川の下には首都高速中央環状線が走っているらしい。
品海公園。
品川 日之出
左に海が広がり、街道沿いに榜示杭があることから品川宿の江戸側の入口付近とわかる。赤提灯を吊るした簡素なつくりの四軒並んだ茶屋は江戸湾の眺望の良さを売り物として繁盛していた。題名の日之出のとおり水平線が赤く染まり朝日が昇る時刻を描いている。これは日本橋を夜明け前に出発した大名行列が品川にたどりつき夜が明けたという設定。
北品川商店街を南向きに撮影する。商店が並び、昔も今も賑わっている。江戸時代は街道の東側はすぐ海だったが、今は埋め立てられ海岸線は2kmくらい先のよう。
北品川商店街すなわち旧東海道の東側は坂となり低くなっている。江戸時代はすぐ海だった。
京浜急行の踏み切りを渡る。
JR東海道線と京浜東北線、山手線を高架で越える。
左に見えるのは品川プリンスホテル。入った事はあるが、泊った事はない。
JR品川駅の高輪口。こちら側は小じんまりとした駅舎。反対側の港南口は、近代的な高層ビルが建ち並ぶオフィス街。出張できた事があるぞっと。
国道15号線を北に進むと高輪大木戸跡の石垣が鎮座している。宝永七年(1710)に芝口門にたてられたのが起源。享保九年(1724)に現在地に移された。江戸の南の入り口として幅六間の旧東海道の両側に石垣を築き、夜は閉めて通行止めとした。
ラ・トゥール三田。出張で来た事があるぞっと。
地下鉄三田駅。三田は東京ではミタ、大阪ではサンダと呼ぶ。同じ漢字でもお洒落度が違う。ここへ来てついに雨が降り出してきた。カッパも傘も持ってないので、しばらく雨宿り。あとわずかでゴールというのにベストコンディションで前に進みたい。傘を買うか、喫茶店にでも行こうかと迷う。
金杉橋の上は首都高速環状線。下には漁船。この景色は大阪チック。