古来、沖縄では按司(アジ)と呼ばれた首長が各地にグスクを構え争っていた。やがて三人の按司が山北(さんほく)、中山(ちゅうざん)、山南(さんなん)の三つの勢力圏を形成したが、山南の按司の1人、尚巴志(しょうはし)が中山を征服して首里城に拠点を移すと、残りの二勢力をも統一し1429年に琉球王国を樹立した。王国は明や日本、東南アジア諸国との交易により1477年に即位した尚真(しょうしん)の時代に繁栄を極める。1609年に薩摩藩が王国を統治下に置いたものの王国体制を維持し交易や産業を促進し活気を取り戻していく。ところが1879年には沖縄県設置により王国は崩壊してしまう。太平洋戦争末期の1945年にはアメリカ軍の攻撃により首里城は、ほぼ完全に消滅した。
わずかに残る遺構の上に、1985年から正殿や南殿など主要部分の復元工事が始まり、御庭(うなー)や10の城門などが復元された。
世界遺産に登録されたのは遺構のみで、復元された部分は除外されている。
首里城 家族旅行で世界遺産!
家族で沖縄! 泳いで、潜って、食べて、飲んで、そして観光で訪れた首里城。遊びまくりの2泊3日。あぁ暑かった!
守礼之門で記念写真なんかも撮るのだ。尚清王時代(1527年~1555年)に創建。沖縄戦で焼失し、1958年に復元された。
漢字変換できない、守禮之邦(しゅれいのくに)。守禮とは、「礼節を重んじる」という意味。
北殿の裏側。
正殿! 残念ながら、正殿は工事中で入れない! こういうことが多いのは生まれつきなんだな、
ハイビスカスは気分を盛り上げる。あぁ沖縄!最高!
大きな木の下でアイスを食べたり。あぁ本土になんか帰りたくない。
首里城 2回目 出張で世界遺産!
出張で訪れた沖縄。オッサンばっかりで会議と懇親会&ゴルフ。楽しいっちゃ楽しいが、せっかくなんで飛行機の待ち時間で首里城にいこう。
那覇空港から儀保駅まで、ゆいレールで30分。儀保駅から沖縄っぽい住宅街をプラプラっと歩いて首里城を目指す。
石垣なんかは世界遺産登録部分だろう。
久慶門。1983年に復元された。通用門として使われていた。
歓会門。首里城の正門。幅3m、高さ4mのアーチ式門の上に木造の櫓を備える。歓会とは一行を歓迎するという意味の名前。
歓会門には門の両脇を固めるシーザーが鎮座する。これは左側のシーザー。阿吽の阿の口と思いきや、反対のシーザーも口を開けている。
歓会門の右側のシーザー。こちらも口を開き、おまけにベロまで出している。
石段を登り瑞泉門へ向う。
石段は多角形の石を上手く並べてある。
漏刻門。創建は15世紀。
広福門。東側には民事と司法関係の役所、西側には寺社を司る役所が置かれた。
奉神門。三つの小門からなり、中央の門は国王や賓客など身分の高い人専用。役人たちは左右の門を使用し御庭へと進み入る。
正殿。漆塗りの壁や柱、屋根の上の龍の装飾など、中国の建築要素が色濃く感じられる。
正殿は、1945年の沖縄戦でアメリカ軍の攻撃により焼失。1992年に復元された。
二層屋根三階建ての正殿。
正殿も含め、建物は全て世界遺産ではない。
南殿の奥へと進み入る。
中庭から街並みが見える。
正殿二階の御差床(うさすか)に国王の座る椅子、玉座がある。
玉座の背後の障子戸奥にある階段を使い、国王は出御していた。
御庭で儀式のために整列する役人たち。なるほど御庭に引かれたラインはそういう事だったのか。
そろそろ空港に戻らねばならん。儀保駅とは首里城をはさんで反対側に、今も残る金城町の石畳道を歩いてみたかったが時間切れ。これだから団体旅行は好きじゃない。
水場跡。
芸術大学に咲くハイビスカス。今は1月、さすが沖縄!
首里城から、ゆいレール儀保駅へ歩いて戻る。道路は石畳だけど昔ながらのモノではない。
高架の儀保駅ホームから首里城が見える。
儀保駅ホームからは海も見える。という事で空港から飛行機で家に帰ろう。おみやげは、ちんすこう、紅芋タルト、ソーキそば、ラフテー、ソーキ、ジーマミ豆腐、シークワァーサーハイチュー、パイナップルハイチュー、マンゴーハイチューなどなど。