百舌鳥・古市古墳群  仁徳天皇陵

仁徳天皇陵は、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大墳墓の一つといわれ、上空から見ると円と四角を合体させた前方後円墳という日本独自の形で、5世紀中ごろに約20年をかけて築造されたと推定されている。仁徳天皇陵の北側の反正天皇陵古墳(田出井山古墳)、南側の履中天皇陵古墳(石津ヶ丘古墳)とともに百舌鳥耳原三陵と呼ばれている。日本最大の前方後円墳であり、前方部を南に向けた墳丘は全長約486m、後円部径約249m、高さ約34.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で3段に築成されている。左右のくびれ部に造出しがあり、三重の濠がめぐっているが、現在の外濠は明治時代に掘り直されたもの。葺石と埴輪があり埴輪には人物(女子頭部)や水鳥、馬、鹿、家などが出土している。

グーグルアースで見る仁徳天皇百舌鳥耳原中陵。この姿を見るには気球かヘリにでも乗らねば無理なんだな。

ということで地上からせめてみる。拝所にある無料駐車場に車を停める。

拝所はオゴソカな雰囲気を感じる。

案内板かと見てみると、注意書きだった。ということは、みだりに立ち入り、魚や鳥を取り、竹や木を切るヤカラが居るって事なのか。

手水があるので清める。

とても整然とした清らかな拝所。神社の如く拝んでみる。

しかし濠の水は澱み気味。

三重の濠が取り囲んでいる。現在の外濠は明治時代に掘り直されたもの。

五世紀頃、日本は朝鮮半島や中国と結びつき、大王(おおきみ)と呼ぶ首長のもと統一的な古代国家を形成しており、大阪湾にのぞむ台地に築かれた百舌鳥古墳群は大王たちの壮大な陵墓の集まりだった。

同じ構図のGooglemap。現代の陵墓は、都市化され住宅に埋め尽くされた百舌鳥の地へ過去からタイムスリップしてきた都市に浮かぶタイムマシンの様相だ。

墳丘は3段に築成され三重の濠がめぐり10基以上の陪塚がありる。

仁徳天皇陵から道を挟んだ南側に広がる大仙公園に建つ平和塔。あそこに登れば仁徳天皇陵の全景が見えるだろうか、いやいや高さが足りないな。やはり全景を楽しむには気球を飛ばすしかない。

長塚古墳はただの雑木林のようだが前方後円墳なのだ。現在は埋まっているが、墳丘の周りには幅14メートルの濠が巡らされていた。

いたすけ古墳をJR阪和線越しに見る。全長約146m、後円部径約90m、高さ約12.2m、前方部幅約99m、高さ約11.4m。百舌鳥古墳群中央にある大きさ8番目の国指定史跡の前方後円墳。いけいけドンドン時代の昭和30年頃に住宅造成のため破壊されそうになったらしい。あぶないあぶない。

履中天皇陵古墳。全長約365mの日本で3番目に大きい百舌鳥耳原南陵、ミサンザイ古墳、石津ヶ丘古墳とも呼ばれる巨大前方後円墳。仁徳天皇陵古墳より古く5世紀前半頃に造られ、墳丘は3段築成で西側のくびれ部に造出し、現在は寺山南山古墳など4基の陪塚と一重の盾形周濠と堤がめぐっている。