古都京都の文化財 二条城、西本願寺、清水寺、下鴨神社、上賀茂神社

延暦十五年(794年)10月に桓武天皇によって平安京が置かれた京都。平安京は三方を山に囲まれた盆地で、自然との調和を意識し唐の長安を見習い計画された都市。平安時代から鎌倉時代、室町時代を経て江戸時代に至るまで、歴史の舞台となった17の寺社城郭が、平成6年(1994年)に世界文化遺産に登録された。

登録された寺社城郭は、東寺、平等院、二条城、金閣寺、銀閣寺、天龍寺、龍安寺、延暦寺、清水寺、西本願寺、上賀茂神社、下鴨神社、仁和寺、西芳寺、醍醐寺、高山寺、宇治上神社の17箇所。

その3 では、二条城、西本願寺、清水寺、下鴨神社、上賀茂神社に行ったときの個人的記録。

二条城  ウォーキングで世界遺産!

二条城は、慶長八年(1603年)初代将軍 徳川家康が京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営し、三代将軍 家光が伏見城の遺構を移すなどして寛永三年(1626年)に完成した。家康が建てた慶長年間の建築と家光が作らせた絵画や彫刻などが融合した、いわゆる桃山文化の全貌を見ることができる。慶応三年(1867年)に十五代将軍 慶喜の大政奉還により、二条城は朝廷のものとなり、明治17年には離宮、昭和14年には京都市に下賜された。

今日は京都の世界遺産を奥さんとウォーキングで巡る企画。JR二条駅を起点に、まずは二条城を目指す。

JR二条駅から東へぷらぷらっと400mほど歩く。二条から二条城前まで地下鉄東西線が走るが、京都の街並みを感じつつ歩く。すると、白い櫓と松の木が印象的なお堀が現れる。ここは二条城の南西の角。そびえる櫓の名はそのまんま西南隅櫓という。

二条城の南側の外堀沿いを歩いていくと、南門が現れる。この南門、掘りを渡る橋は無く、扉は固く閉ざされている。

南西の角から南東の角までおよそ600m。ここは二条城の南東の角。そびえる櫓の名は、やっぱりそのまんま東南隅櫓という。

二条城の東側にある東大手門が入口になっている。入場料600円を払い、外国人観光客だらけの二条城へと入って行く。

順路としては東大手門から入り、唐門より二之丸へと進む。二之丸御殿を拝観し、二之丸庭園を散策。そして本丸櫓門から本丸へ進み、本丸庭園、天守閣跡、本丸御殿など見た後、北側に広がる庭園を散策し東大手門に戻る。

二之丸への入口、唐門。

 

武家書院造りの二之丸御殿。建物は6棟あり、部屋数は33室。

二之丸御殿は入口の「車寄」から順に「遠侍」、「式台」、「大広間」、「蘇鉄の間」、「黒書院」、「白書院」と続く。

台風21号により、二之丸御殿の飾り金具が脱落している。

反対側の飾り金具は無事のよう。

入口の「車寄」から入る。内部は写真撮影禁止。

車寄せの上部の欄間には、豪華な彫刻が出迎える。

二之丸庭園も台風被害で入園禁止になっていた。

二之丸をあとに、本丸へと向う。奥に見える石垣の上に天守閣が聳えていた。

本丸櫓門から本丸へ進み入る。

天守閣跡へと登ってみる。

天守閣跡の天主台からは本丸庭園と本丸御殿が見えるが見晴らしは良くない。それもそのはず天主台の上に天守閣の建物が築かれていたので、目線はもっと上からとなる。

今は無き天守閣のテッペンから見る風景はこんな感じだろうか。

本丸御殿。

本丸御殿では結婚式を挙げられる。後輩もここで挙式したな。

ということで、北側の庭園を散策しつつ、かき氷に後ろ髪を引かれつつ、二条城を後にする。

西本願寺  ウォーキングで世界遺産!

本願寺は浄土真宗本願寺派の本山で通称「西本願寺」と呼ばれている。浄土真宗は鎌倉時代の中頃に親鸞聖人によって開かれた。親鸞聖人の滅後、その遺骨と影像を安置した廟堂が京都東山大谷に建てられ、やがてこの廟堂が本願寺の基となる。その後、第十一代顕如上人のときに本願寺は現在地に移動し今日に至る。

二条城から西本願寺へは堀川通りを北に下ること2.5kmほど。バスだと230円11分ほど。でも今日はウォーキングも目的のひとつ。30分ほどかけて堀川通りを北へ歩くと巨大な瓦屋根が見えてきた。

堀川通りに面した阿弥陀堂門。

堀川通りの東側には総門が建つ。その総門から御影堂門を見る。しかし信号機が邪魔だな。

世界遺産への観光気分なのだが、やはりそこはお寺である以上お参りの作法に則る。まずは手水舎で手と口を清める。

京都市の天然記念物に指定されている大銀杏。まるで根を天に広げたような形から「逆さ銀杏」と呼ばれている。樹齢400年、その間、本願寺に火災が起こった時に水を噴出し消し止めたという伝説がある。

境内に南側に堂々と建つ国宝の御影堂。寛永十三年(1636年)の再建で、正面は62m、奥行き48m、高さ29mという世界最大級の木造建築物。11万5千枚もの瓦が乗る屋根を227本の柱が支えている。

御影堂。

拝観無料だが、ご朱印も無い。さらにお守りやお札も無い。占いやまじないに頼らない、それが浄土真宗親鸞聖人の教え。

親鸞聖人の木像が安置されている堂内では、お経の大合唱が繰り広げられている。御影堂の外陣には441枚の畳が敷かれ、1200名以上が一度に参拝可能。

境内の北側に建つ国宝の阿弥陀堂。こちらが本願寺のご本堂。宝暦十年(1760年)に再建され、正面は42m、奥行き45m、高さ25mと若干御影堂よりも小ぶり。とはいえ堂々ぶりは遜色ない。

縁側の床板の節穴や亀裂には、富士山や動物、植物、道具などを模った木で埋められている。

阿弥陀如来像が安置されている。285枚の畳が敷かれ800名以上が一度に参拝できる。

二つ並んで建つ阿弥陀堂と御影堂は、渡廊下と喚鐘廊下で結ばれ行き来ができる。

国宝の唐門は現在工事中で見ることも近づく事もできない。

そして国宝の飛雲閣。こちらも現在工事中。金閣、銀閣と並んで教徒の三名閣に数えられる。左右非対称の楼閣は見る位置によってその姿が様々に変化する。

清水寺  ウォーキングで世界遺産!

音羽山清水寺の開創は778年。大きな慈悲を象徴する観音さまの霊場として、古くから庶民に開かれ幅広い層から親しまれてきた。古い史書や文学のなかには、多くの人々が清水寺参詣を楽しむ様子が描かれている。京都の東、音羽山の中腹に広がる境内には、国宝と重要文化財を含む30以上の伽藍や碑が建ち並ぶ。創建以来10度を超える大火災に遭い、そのたびに堂塔を焼失するが、篤い信仰によって何度も再建された。現在の伽藍はそのほとんどが1633年に再建されたもの。

西本願寺をお参りし、つづいては清水寺を歩いて目指す。およそ4km、40~50分で着くだろう。

堀川七条から七条通りを東へしばらく歩くと、東本願寺。そして右手に京都らしからぬ京都タワーとJR京都駅の巨大建造物が見える。

七条大橋を渡り、三十三間堂、智積院、妙法院を過ぎると五条坂が現れる。

五条坂から茶わん坂を登っていく。レンタル着物を着ているのはすべて大陸系の観光客。

坂道で汗が噴出す。

仁王門の前には外国人観光客と修学旅行生で溢れかえっている。

鐘楼と西門の間の石段を上がっていく。

三重塔

いやな予感が的中。清水の舞台は改修工事中。

西門

舞台はあきらめ西門脇から京都の街を見下ろす。ここからも仁王門が御所を見下ろせないように建っている。

松原通を下りていく。

三年坂(三寧坂) 。

二年坂へは行かず八坂通へ。八坂の塔が見事なり。

この通りは電柱と電線が地中化されすっきりと八坂の塔を見ることができる。

賀茂御祖神社(下鴨神社)  ウォーキングで世界遺産!(途中でバスに乗るの巻)

下鴨神社と呼ばれているが、正式には賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)という。崇神天皇の七年(BC90年)に神社の瑞垣の修造がおこなわれたという鴨社造営記に記録があり、それ以前の古い時代からまつられていたと思われる。糺の森周辺の発掘調査で縄文時代の土器や弥生時代の住居跡がたくさん発掘され、それを裏付けている。社伝や歴史書に、お祭、社殿、ご神宝等の奉納などが記録されている。『続日本紀』の文武天皇二年(698)には、葵祭に見物人がたくさん集まるので警備するように、という命令が出された、という記事がある。このことから、奈良時代より前から神社が大きなお社で、盛大なお祭がおこなわれていたことがわかる。

清水寺から次の目的地である下鴨神社までは5kmほど、歩くと1時間。バスだと東山安井停留所から飛鳥井町停留所まで20分、降りて歩いて15分ほど。ひとまず東大路通りまで下りて来たが、もう歩くのはうんざりと二人は同意見。そそくさと東山安井停留所からバスに乗るのであった。

世界文化遺産 賀茂御祖神社に到着。

河合神社の前から糺の森を歩く。

森の緑の中に浮かび上がる鮮やかな朱色の鳥居。

下鴨神社の正式名称は賀茂御祖神社という。賀茂建角身命と玉依媛命を御祭神として祀っている。

手水舎で手と口を清める。禊を簡略化した儀式なので、作法にのっとろう。

1、右手で柄杓を持って水をくみ、左手を清める。

2、柄杓を左手に持ち替えて、右手を清める。

3、再び柄杓を右手で持ち、左手で水を受け、口をすすぐ。もちろん柄杓には直接口につけない。

4、改めて左手を清める。

5、残った水で柄杓の柄を洗い清め、元に戻す。

さざれ石(細石)。国歌の歌詞にある「さざれ石」とは、小さな石という意味。さざれ石は年とともに大きく成長し、岩になると信じられている神霊の宿る石。

楼門。

楼門から入ると正面に建つのは重要文化財の舞殿。舞殿は葵祭の時に天皇の勅使が御祭文を奏上され東游が奉納される場所。

そして中門から入る。

大國さんと親しく呼ばれている。大國さんとは、大国主命の略称で、正式社名は言社であり七つのお社がある。言社は干支の守護神としても有名で古くから信仰をあつめている。各お社ごとに御神徳があり、それを干支で表わし、子年から亥年までの生れ年の守護神として信仰されるようになったお社。

一般の拝観者は拝殿まで。

お参りの前を塞ぐお掃除中の巫女さん。西本殿と東本殿はさらに奥に建つ。

今日は上賀茂神社まで行こうと予定していたがタイムアップ。また今度。

賀茂別雷神社(上賀茂神社) 夫婦で世界遺産

賀茂別雷神社(通称上賀茂神社)は、神代の昔、本殿の背後北北西に位置する秀峰神山に賀茂別雷命が御降臨になり、第40代天武天皇の御代白鳳6年(678年)には、山背国により賀茂神宮が造営され、現在までほとんど変容することのない御社殿の基が築かれた。第50代桓武天皇による平安京遷都以降は、皇城鎮護の神・山城国一之宮として歴代の天皇が行幸・奉幣祈願されてきた。

今日は奥さんと娘の合格祈願に参拝する。日本列島は西高東低の冬型の気圧配置に覆われ、各地で豪雪のニュースが聞こえてきている。ここ京都も突然の吹雪に見舞われあっという間に雪景色となった。駐車場に着いたとき、車の外気温計は0度を示している。

世界文化遺産 賀茂別雷神社(上賀茂神社)に到着。

一の鳥居から進みいる。

一の鳥居を入ると、広大な芝生の庭が広がっている。でも今日は薄っすら雪化粧。

外幣殿(馬場殿)

二の鳥居。

二の鳥居を入ると左から細殿、舞殿(橋殿)、土屋。

寛永5年(1628年)造り替えの細殿は、歴代の天皇や上皇、法皇、院の外出の際の仮御所。斎王が到着したときにも使用された。細殿の前には立砂という円錐形に盛られた砂の山が二対ある。祭神の賀茂別雷大神 が降臨した円錐形の神山に因んだもの。左右の立砂の上には、左に3本の松の葉、右に2本の松の葉が立てられ左が陽、右が陰を表す。

楽屋(がくのや)。神仏習合時代の供僧が用いた建物。一切経楽屋ともいう。寛永5年(1628年)造替(重要文化財)。

土屋(つちのや)。神主以下社司の著到殿として使用されていた建物。現在は、祓所として用いられている。寛永5年(1628年)造替(重要文化財)。

舞殿(橋殿)。御手洗川の上に建てられた殿舎で勅使参詣の際に御拝した建物。文久3年(1863年)造替。

御物忌川から見た舞殿(橋殿)。

着物女子はとっても華やか。でもめちゃ寒そう。

玉橋をわたると楼門が構えている。重要文化財の玉橋は渡ることができないので、その奥に掛かる重要文化財の片岡橋を渡る。

楼門と玉橋。重要文化財。

楼門

楼門から入ると正面に寛永5年(1628年)の建築の中門。中門から左右に広がるのは西局と東局。共に重要文化財。祈祷殿と忌子殿は屋根の葺き替え工事中。

お参りは中門にておこなう。門の上には宝船が吊るされている。

中門から見る重要文化財の祝詞屋。その奥の右側に国宝の本殿、左側には国宝の権殿が建つがここからは見えない。二礼二拍手一礼にて参拝する。

一の鳥居の前のお土産屋さんで「すぐき」の漬物を買うのであった。京都の三大漬物は、「すぐき」「しば漬け」「千枚漬け」。京野菜の「すぐき」を塩漬けしたもので、ラブレ菌が含まれる京都にしかない漬物。