武家の古都・鎌倉(古都鎌倉の寺院・神社ほか)

時代は12世紀末、源頼朝のもとに集まった武家は、東・西・北の三方を山に囲まれ、南側を海に開く鎌倉の地に都を築き、政治、文化、経済の一大中心地をつくる。鎌倉の地で武家が政治を行う新たな時代、それはその後の日本に大きな影響を与える武家による文化が生まれた。

平成4年(1992)に「古都鎌倉の寺院・神社ほか」として、ユネスコ世界遺産暫定リストに掲載された。その後、平成16年度に「武家の古都・鎌倉」のコンセプトをまとめ、平成24年1月に「武家の古都・鎌倉」として推薦書が政府からユネスコに提出された。しかし、平成25年(2013)4月にユネスコの諮問機関であるイコモスから「不記載」勧告を受けたことにより推薦を取り下げた。現在は、改めてコンセプト及び構成資産を練り直し、早期の世界遺産登録を目指している。

現在の鎌倉には、かつての都市計画の中心となった鶴岡八幡宮と、その正面に延びる若宮大路が残っており、周囲の山際には建長寺・円覚寺・高徳院・永福寺などの寺院や当時の権力者の屋敷跡が散在している。周囲の丘陵には外部に通じる交通路であった険しい切通し道(鎌倉七口)が現存し、海岸には港の遺跡である和賀江島が残っている。

そんな、もうすぐ世界遺産に登録されるであろう鎌倉の町をぷらぷらっと巡ってみた。

大阪梅田プラザモータープールを22時10分に出発する東京新宿行きの夜行高速バスに乗る。いつもは3列独立シートのバスをチョイスするのだが、今回は4列シートの夜行バスがいかがな物なのか体験してみる。運賃が安いせいか、乗客は若モンと外人だらけ・・・

4列シートはやっぱり狭い! そして前の席の南米系外人は遠慮なくリクライニングシートを全力で限界まで倒してくる! 一晩中、目の前に外人クサい頭が迫っていて寝られたモンじゃねえ!!!

めっちゃくっさい外人のせいで寝不足のまま、定刻より10分ほど早い5時30分に東京新宿のバスタ新宿に到着。トイレと歯磨きを済ませ、新宿駅から品川駅まで山手線に乗り、品川駅から横須賀線で北鎌倉駅へと向かう。

臨済宗大本山 円覚寺

北鎌倉駅のすぐそばに建つ円覚寺。小雨の降る早朝、静寂でしっとりとしたイイ雰囲気を感じる。円覚寺は鎌倉幕府の宗教政策の中心で、武家の文化成立と発展に貢献した禅宗の寺院。

開門は午前八時、あと30分ほど待たねばならない。

天明5年(1785年)に再建された三門。扁額には円覚興聖禅寺と書かれている。

しっとりとした境内にアジサイが咲き誇る。

開門前に並んでいた人々について行くと、皆さん方丈に入って行く。お坊さんに促されるがまま、方丈の中に進み入る。「初めての方はこっちへどうぞ」と言われるがまま、「なんだなんだ、何が始まるのだ?」。小部屋に案内され、若いお坊さんから座禅の仕方や、この後始まる座禅会の心構えなどをレクチャーされる。

座禅の仕方は、まず坐蒲がお尻の中心に位置するように座り、体は両膝とお尻の三点で支える。足の組み方は、右足を左の股の下に深く入れ、左足を右の股の上に深く乗せる。手の組み方は、右手を左足の上に置き、その上に左手を乗せて両手の親指を合わせ、組み合わせた手は下腹部に付け、腕と胸の間を離して楽な形にする。両手の親指はかすかに接触させる。この手の形を法界定印という。背筋を伸ばし、顎を引き、両肩の力を抜く。目は見開かず細めず自然に開き、視線は45度の角度に落とし、1メートルほど前方を半眼で見つめる。呼吸はへその下に意識を集中し、ゆっくりと長く息を吐き、息を吐き切ったら自然に息を吸う、複式呼吸をおこなう。

レクチャーが終わると、大方丈の大広間に移り座禅を組む。太鼓と鐘が鳴り響き、般若心経などお経を唱え、館長による法話と坐禅会が始まった。どうやら日曜坐禅会とやらに知らず知らずのうちに参加していた。滞在時間おおよそ2時間、たっぷりと座禅を体験することができた。なんだか気分がすごくイイ! 座禅がクセになりそうだ。

国宝の舎利殿が建つ正続院は、修行道場のため一般の参拝者は立ち入ることができない。しかたがないので、正続院の奥の屋根だけを遠目に見る。

案内看板に国宝舎利殿の写真があるので、イメージだけを膨らませる。

円覚寺をあとにし、明月院通りを歩く。木々に囲まれ小川が流れるイイ雰囲気の通りなのだ。

福源山 明月院(あじさい寺)

明月院はアジサイが満開。鎌倉随一のアジサイの名所だそうだ。

「明月院ブルー」 を進んでいく。この後に歩く山門前の石段は撮影者でいっぱい。

枯山水庭園。

本堂の方丈にある「悟りの窓」という円窓の奥には庭園が広がっていて、この風情のある景色を写真収めようとする人の列が長く伸びていた。

開山堂の前のお地蔵さんは花想い地蔵と呼ばれている。

金寶山 浄智寺  鎌倉五山第四位 臨済宗円覚寺派

浄智寺 惣門(高麗門)

浄智寺 鐘楼門。浄智寺は、鎌倉幕府 第五代執権 北条時頼の三男である北条宗政が亡くなった際、菩提を弔うために弘安4年(1281年)頃に創建された。

書院

竹林がイイ雰囲気。参拝者が少ないのでしっぽりできるのだ。

柔らかい鎌倉石の山を掘った祠をやぐらといい、当時の僧侶が修行に使用したり、地位の高い人のお墓などとして使用されていた。

宝亀山 長寿寺  臨済宗建長寺派

4~6月と10~11月の金土日曜、祝日のみ拝観可能。

長寿寺は、足利尊氏の子で関東公方の足利基氏が、父の尊氏の菩提を弔うために古先印元を開山として建立されたと伝わる。

巨福山 建長寺  

総門。別名は巨福門という。扁額に「巨福山」と書かれている「巨」の文字は、勢い余って一点加わり、百貫の重みが増したことで「百貫点」と呼ばれている。

1775年に再建された山門は、高さが約30mもある。

国宝の梵鐘。円覚寺、大船の常楽寺の鐘とともに「鎌倉三名鐘」とよばれている。建長七年(1255年)物部重光によって鋳造されたもの。

建長寺の本尊である地蔵菩薩を安置している仏殿。現在の建物は、創建当初より4代目のものといわれ、東京芝の増上寺にあった徳川二代将軍秀忠公の夫人である「お江の方」の霊屋を建長寺が譲り受けた。

法堂。この建物は1814年に建長寺派の寺院により再建されたもの。

法堂の天井には雲龍図が描かれている。

唐門。桃山風向唐破風という、16世紀後半の日本の屋根の建築様式で作られた、漆塗りの四脚門。1628年、東京芝の増上寺にあった徳川二代将軍秀忠公の夫人である「お江の方」の霊屋の門として建てられた。その後、1647年に仏殿・西来門と共に建長寺に寄附され、方丈の正門として使用されている。

北鎌倉界隈をあとにし、巨福呂坂トンネルを通り鎌倉市街地へと向かう。

鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮は、康平6年(1063年)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まり。

太鼓橋から拝殿を望む。太鼓橋が掛かる水路の左右には源平池が広がっている。

神事がおこなわれ参加したいが、並ぶのは好きではない。

石段を登り拝殿へと進む。

拝殿。拝殿内は撮影禁止なのだ。

鴨居には漫画チックな動物の姿があしらわれている。

参拝を終え、若宮大路を鎌倉駅へと向かう。

鳩サブレ。

若宮大路を南へと歩いてくると鶴岡八幡宮 二の鳥居。

鎌倉駅へとやってきた。

鎌倉駅前から続く鎌倉小町通りは人の波で溢れている。人波にもまれながらお土産を探してみた。

鎌倉駅から長谷寺と鎌倉大仏の最寄り駅である長谷駅まで江ノ電に乗る。

江ノ電は住宅の軒先をかすめながら進んでいく。

長谷駅で江ノ電を降りる。

海光山 慈照院 長谷寺

開祖は天平八年(736年)。聖武天皇の治世下には勅願所と定められた。

卍池

地蔵堂。外人さんに大人気。

見晴台からは鎌倉海岸が見える。

長谷寺はアジサイの咲き誇る庭園があるのだが、入園には40分待ちだとさ。あきらめて着物女子に心奪われつつ、大仏殿を目指して歩いていく。

鎌倉大仏殿 高徳院(大異山 高徳院 清浄泉寺)

高徳院(大異山 高徳院 清浄泉寺)は、法然上人を開祖とする浄土宗の寺院。

山門を入ると、目の前にどど~んと鎮座されている。

国宝 銅造阿弥陀如来坐像。像高は11.39m、重さ121tと巨大。

右ほほに金箔の跡が残っている。創建当時は全身金箔貼りのお姿だったようだ。薄開きのまぶたの奥には瞳も造形されている。

横からの姿は若干の猫背。

見事なパンチパーマっぷり。

背中には窓がある。

20円で大仏の内部に入る事ができるので、さっそく入ってみる。

下から頭の中を覗くの巻。パンチパーマの裏側が見えている。

鎌倉大仏をマンキツし、江ノ電に乗るため長谷駅までプラプラ歩いていると、鎌倉ビールのノボリが誘惑してくる。1杯だけ休憩がてら引っ掛けていく。

ふたたび長谷駅から江ノ電に乗り藤沢を目指す。途中の駅は稲村ヶ崎駅やら七里ヶ浜駅やら鎌倉高校前駅やら江の島駅やら。サザンの曲が頭の中をリピートする。写真は江ノ電から見る江の島。海は大荒れ。

とりあえず横浜に移動し、中華街で晩ご飯。

とりあえず豚まんを食らう。